Tsuchida Racing Cycle / ISSUE07

Date : 2008.03
Common Magazine issue07

HUMANREPORT × Tsuchida Racing Cycle

Tsuchida Racing Cycle WEB

ISSUE07 DETAILS


■ よろしくお願いします!

Tsuchida(以下T)ども~。

■ 自転車との出会いを教えてください。

T 物心ついた時から家にあった自転車を乗り回してたなぁ、つっても三角乗りで。三角乗りわかる?

■ う~ん…。わかんないっす…。補助輪ですか?

T 違うよっ!え~?、三角乗り知らない?そっか、50年くらい前には今みたいな子供用自転車ってそんなに無かったの。みんな大きいからサドルに座れなくて、フレームの三角になった所に足通して乗るんだよ。それを三角乗りっていうんだよ。んで、三角乗りで乗ってたら、8歳くらいの時におじさんがオンボロの子供用自転車持ってて、それを修理してくれて乗るようになったんだよな。それがちゃんと自転車に乗るキッカケだったな~。それからもうずっと乗ってますな~。

■ 中学校、高校でもずっと乗ってたんですか?

T うん、乗ってたよ。中学校は歩いてすぐだったんだけど、その時に新聞配達をして自転車を買ったな。

■ へぇ~。じゃあ自転車の部活とかには入ってないんですか?

T いや、俺は小学校は水泳やってて、6年生の時に水泳の大会に出て。まぁ、市内で1位になってそれからなんか変な勘違いをおこしてさ。俺は速いんだ、強いんだっ!て思って高校の3年までずっと水泳。

■ 水泳なんだ!!(笑)

T はい。んで、高校3年の時友達と二人乗りして坂道を下ってたらさ、信号無視して車にはねられてさ(笑)。今でも忘れない6月7日だよ。足がこんなに腫れちゃって動けなくなっちゃって入院を余儀なくされて。

■ 折れちゃったんですか?

T えっ?折れたんじゃないよ、筋肉断裂になってさ。それで水泳を辞めなくちゃなんなくなったんだよ。その時プールに通うのに先輩から5千円で買った10段変速の自転車に乗ってたんだよ。毎日学校もそれで通ってたんだよな。学校まで何分で行けるとかさ、いっつも遅刻ギリギリで行ってたんだけどさ(笑)んで、ある程度自転車は乗れるなぁとは思ってたんだけど、まさかあんな交通事故になるとはなぁ。事故の後も水泳はやろうと思ってて、翌々は水泳のコーチになりたいとも思ってたんだよ、ずーっとさ。

■ はぁ、なるほど。

だって高校3年の時にインターハイに出られればさ、ねぇ、某大学に推薦とかで勉強しなくても入れると思ってたから(笑)。そうそう(笑)ほら当時は水泳のコーチになるには、大学いって学校の先生になるのが一番いいと思ってたから、学校の先生になりてーなーなんて思ってたんだ。

■ それで大学いったんですか?

T で、親に大学いきたいんだけどって言ったら「いっていいよ」って言うんだよ。いっていいよって言うから「おー、やった!」って思ってたら、いってもいいのは国立だけだって言う訳よ(笑)。他は金が高くてダメだって言うんだよ。その時親父のある知り合いの人が、競輪選手になりたくて頑張ってたんだけどなれなかった人がいたのよ。その人がもう自転車いらないからくれたんだよ、競輪用のね。それからずっと家にあったんだけど俺そんなの乗る気しねーしさ、その時は。

■ あまり興味がなかったと?

T ところがね、その当時大宮も競輪場で「バッチテスト」ってのがあってさ、素人集めてバンクでやる大会なんだけど、1000Mタイムトライアルすると何級とかの級があってねバッチくれるんだよ、その級ごとに。

■ 大宮?

T あぁ、俺その時埼玉の川口で育ったから。 俺は水泳部なんだけど、友達に自転車部のやつがいたんだよ。そいつに貰った自転車の話をしたらそれに出てみろって言うから出てみたんだよ。しかも貰ったのじゃなくて10段変速の方で。始めの1周シャ~って走ったんだよ。

■ ギヤチャリで?。

T うん。最初の1周は大した事ないなと思ったら2周目びっくりする程苦しくなって体が全然動かないんだよ!結局俺が1分36秒で自転車部の友達は1分23秒って、俺より10秒以上速かったんだけど。何より1000Mってこんな辛いんだ、苦しいんだって思ったんだよね。競輪なんてその当時知らなかったしギャンブルってのも知らなかったからさ。その後2回くらいバンクに行ったかな~?一応高校はギリギリ卒業出来たんだけど、国立の大学は勉強はしてないからいける訳ねーよな。そんで3ヶ月くらい何しようかな~ってブラブラしてたんだ(笑)そしたらちょうどその自転車部だった奴がさ、神田のデローサとか扱ってる自転車の問屋で働いてて、人手が足りないからお前手伝ってくれよって言うのよ。俺も自転車好きになってたからそこで働きだして、稼いだ金全部つぎ込んでロードレーサー1台組んだんだよな。それは未だに持ってるよ、オールカンパニョーロだよ。国産は車輪回すと「ゴリゴリゴリ~」って回るんだけど「サ~ッ」って、その頃1番良かった。そん時はその為に働いてた様なもんだな。

■ じゃあ長い間そこで働いてたんですか?

T いや、その後おじさんが来て、お前そんな所で働いても将来無いんだからおじさんの所で働いた方が良いから!って言われて、とりあえず臨時雇いだったけどおじさんの口利きで入ったんだよ。何とね、東京ガスっていう大きな会社だよ…。でさ高校の先輩がそこに就職してて「お前みたいなバカな野郎が入ってきたらうちの会社潰れちゃうよ!」って必ず言うんだよな。俺も「そんなバカじゃねーよ!」って言うんだけどさ、まぁ学生時代ははろくに勉強しないで水泳ばっかりやってたから言われてもしょうがねーなって思ったけどさ(笑)。仕事は仕事で、毎日毎日穴堀って鉄管繋げさせられる事ばっかりさせられたよ…。色々考えさせられて悩んでた頃だったよ。昭和42年の暮れだったな、高校時代に凄い自転車の強い同級生がいて、そいつがひょっこり俺の所に来て「お前も競輪選手になんないか?」って言ってきたんだよな。給料も今の5倍はなるって言うんだよ。

■ 夢の様な話じゃないですか!

T そうだよ、親父はずっと狭い借家に暮らしてたしさ。こりゃ良いや!このままここに居てもしょうがないな!ってなって昭和43年の1月14日に辞めたんだよ。今思えば、親父はよく反対しなかったなって思うよ。親戚の顔もあるけど自分で考えて決めた事だからって説明したら「お前の人生だしそれはお前に懸けるしかないからな」って理解してくれてさ。そんで次の日から毎日だよ、自転車練習。慌てて出した競輪学校の願書は、ギリギリ間に合って通ったんだけどね。試験の内容は1000Mと3000Mと学科試験があって1000M1分24秒切らなきゃいけないんだけど、これがまた1分30秒で、3000は4分28秒切んないといけないんだけど、タイムが全然届かないんだよ。まぁ、毎日200キロ走ってれば何とかなるって思ってやってたんだけど…。毎朝8時に家出て、帰ってくるのは真っ暗になってたからな。そんな事やっているうちに、ここの鼻の頭に傷あるだろ?

■ はい…

T これな止まってる車に突っ込んだんだ。それから前見るようになったんだ(笑)。

■ 一同(笑)

痛かったんだからこれ。向かい風ビュービューで前見れなかったんだよ…。

■ 試験までの練習はどのくらい期間があったんですか?

T 3月3日が試験日だったから1ヶ月半しか無かったんだ。でもね、なんとか試験クリアして1次試験受かったんだ。

■ あれ?何次試験まであるんですか?

T 2次試験までだよ。また1000Mと3000Mのタイム計るんだよ。学科試験は1次しかないけど、当時高卒すら少なかったから問題の易しい事よ。全部90点以上は取れたな。でも強い奴は大抵頭悪いやつ多くてよ、そのお陰で受かった様なもんだけどさ(笑)2次試験も何とか受かったけどさ、高校時代水泳の関東大会でビリだったけど決勝までいった事や、仕事では穴堀ばっかりやってたっていうので、普通の人よりは体力には自信があったっていう勘違いがあってさ、無謀っちゃ無謀だったな…。

■ でも凄いですね!何人中何人が受かるんですか?

T 受験者数が700~800人って聞いたなぁ、その中から100人が合格。

 

 

■ 競輪学校ってどこにあったんですか?

T 伊豆の修善寺にあるんだけど、俺達の前は東京にあったんだよ。でもそこで訓練しきれないという事で伊豆に作って、その年の7月11日の開校記念日に俺達入ったんだよ。

■ 競輪学校は具体的に何をするんですか?

T 自転車の訓練は当たり前だけど、競輪ってギャンブルでお金を賭けるよね?普通賭け事って御法度だよな。競輪はなんで御法度じゃないのかは、きちんと法律に基づいた上で不正が無いようにやるからなんだよね。

■ 八百長とか?

T そう、ギャンブルとなると不正を働いたりするいい加減な奴とか出てくるだろ?そういうのはあっちゃいけないという事で、ちゃんと競輪学校っていう所で訓練してますよっていう所なんだよね。

■ 相当厳しかったですよね?

T そりゃもう。自衛隊と一緒だなありゃ。国旗掲揚毎朝やって、朝晩で点呼やるんだけど、朝俺いつも帽子をどこやったか忘れちまうんだよ!

■ 忘れるとどうなっちゃうんですか?

T そうするとな「キサマ帽子どーしたんだっ!!」てすぐぶん殴られるんだよ。

■ キサマって言われちゃうんですね、戦時中ですね…。

T そうだよ、そうやっていじめる教官が多いんだよ、元競輪選手でよ…。ちょっとなんかあるとすぐぶん殴られるんだから。今はぶん殴ると「先生訴えます」って言われちんだってよ(笑)ほんでな、靴のカカトなんか潰して履いた日にゃ靴無くなっちゃうんだから。さぁ出よう!ってなると「あれっ!靴がない!」ってなっちゃうんだよ(笑)教官が、まともに靴履けない奴は靴いらねーだろって言うんだよ!んでしょうがないから裸足で出て行くと「キサマ!靴どうした!!」って言うんだよ(笑)テメーでかっぱらっておいて何が「靴はどうした!!」だよな。

■ 一同(爆笑)

T そういう規律もちゃんと守りましょうっていう訓練があってね。競輪をやっていく上でどういう法律が、ああなってこうなってっていう試験とかもあるのよ。

■ 叩き込まれる訳ですね。

T そう、自転車乗るだけじゃないの。そっちの方が厳しいんだ。だってね、酒飲みに行ったりとかしてヤクザにあってとか、そういうのもあっちゃいけないだろ?そういう行動の指針とかあったりしてな。そういう細かい事までうるさく言うんだよ。あと一般教養とかも身につけなさいとかもね。

■ なるほど…。

T そんで最終的に、そういうのを含めた試験をやって卒業するんだ。

■ たくさんあると思いますが、現役時代に1番辛かった事は何ですか?

T 辛かった事ねぇ…怪我して痛いくらいのもんか?

■ じゃあ競輪学校時代では?

T 競輪の基本訓練なんだけど、速く走るには足の回転力を上げなきゃいけないから、ギヤ比を軽くする為にギヤを48×20位にしてバイクの後ろに付けてグルグルグルグル走らせるんだよ。そうするとね俺そういう訓練してなかったからさ、両足の太ももの内側がサドルで股擦れしちゃってさパックリ縦に裂けたんだよ。

■ 痛そっすねぇ…….。

T でも、自転車に乗らない訳にはいかないだろ?痛いんだからっ!!もうパンツに当たる度にね、擦れっから痛くて痛くて飛び上がってたよ。ずーっとがに股じゃないと歩けなかったし風呂なんか絶対入れない…..もぅ、ホント……それが痛くてさぁ…。

■ 土田さんっ!辛いっていうか、痛いっじゃないですかそれ。

T うん、辛いなんて事俺無いもの。そういう人生だもん。辛いなんて思ったら生きていけないですよ。

■ …なるほど。

T 辛ければ、それを克服すれば良いと思って。ん~何て言うかね。昔から今もなんだけど、俺の基本は何でも前向きなんだよ。痛いと思えばこれも一つの過程、勉強だと思うしかない。

■ 最初の頃とか、それでも何か壁にぶつかった事とかはありますか?

T ん~…一番最初の頃、駆け引きっていうのが解んなくてね…。競輪って9人で走るんだけどさ、水泳とかみたいに自分のコースがある訳じゃないし、実力あれば必ず勝てるっていうもんでも無いんだよな。自転車の実力を100持って全てが万全だとしても、勝てない時があるんだな競輪は。俺それが最初解んなくてな。後から考えたらホント俺バカだったなって思う事がたくさんあったよ。全てが勉強だった。俺の戦法は、先攻逃げ切りっていうやつで、人の後ろくっ付いてってチョロって抜くんじゃ無いんだよ。常に自分から前に出ていって勝つってのが戦法だったから、人をあてにしちゃ駄目なんだ。と、言いながらも敵が企んでる事とかをうまく利用するようなやり方を考えなくちゃいけない。必ずしも戦場がバンクの上だけっても限らないしな。あと競輪場といえば当時全国に50ヶ所あって、それぞれ大きさも個性も違うからそういうのも考えながらやんなくちゃない。段々順調に勝ててたけど、デビュー戦は何も解んないから失敗したよ。苦い思い出もいっぱいあったけどまぁでもそれすらが良い勉強だったよ。

■ あれ?しかし土田さんって何年現役だったんでしたっけ?

T 34年。

■ 34年!?…すげぇっすね!

T 冗談じゃないよ。ただ図々しくやってただけよ。

■ もっと長い方っているんですか?

T 50年って人いたよ。

■ えぇぇぇ~っ!!ごっ..ごっ….50年!?

T うん、家の近所の人だけどね。ちなみに俺の同期でまだ頑張ってる奴もいるよ。

■ 何ていう方ですか?

T 栗田岳文っていう奴だよ。60歳だよ。

■ はぁ~、凄いですね…。土田さんの時って階級は何クラスあったんでしたっけ。

T 俺デビューした時は、A級1班2、3、4、5とB級が1、2。だから7クラスあった。今は変わりすぎて解らないな。

■ Sは無かったの?

T Sは無い。今のS級ってのは、その時のA級2班までの事。俺そのA級2班に居たんだけど、でも大した事ねーよな~、3年位しか居なかったんじゃないのかな。

■ 階級は年で変わるんですか?

T 違うよ、4ヶ月ごと。ところがね、今は半年ごとになっちゃたよ。

■ そうなんだ…。何歳位の時なったんですかA級2班。

T 20代の時にいてね、んでその後子供が生まれてから、これじゃあいけねーってなってがんばってね、また30代にもなった事ある。

■ 返り咲いたわけですね。

T そう。

 

 

■ では次の質問なんですが自分でお店を始めたキッカケを教えてください。

T 最初はお店じゃなくて、車で競技場の近くで売り歩いてたんだ。ん~37年前仙台に来て、早い話当時ままともに車輪組める自転車屋がなかった。競輪って転ぶじゃない?そのまま帰ってきて、近くに某自転車屋があってそこに持っていくんだけど全然駄目なのよ。そんなのがあってからかな、じゃあ自分んでやった方が良いのかな?って思い始めたんだ。

■ そこから二足のわらじってわけですね?

T そう、二足のわらじ。27、8歳からやってたんだ。当時趣味でカートもやってたせいもあるけど、乗ってた車を売って広い方が良いってタウンエース買ったんだ。

■ 多趣味ですね。

T 色々やったよ~。全部やった。射撃もやってみたくて、ライフル銃買うべと思って随分通ったけどライフル銃買えなかったなぁ~…。免許取れなかったからな。んで次はアクアラング。一式買って海潜ったりして。まぁそれは40年も前の話だけどな。趣味で金かかるからさ、どっか他で儲けないとなって思って始めたんだ。始めはチューブラータイヤ10本からでチョロチョロ売って、少しずつ在庫増やしていって。だから資本金はかけてないんだよ。んでね~ちょっと儲かれば良いなって思ってたから適当に売ってたんだこれがまた。競技場の近くで売ったりしてるから既存の仙台市内の自転車屋からしてみりゃ面白くなかっただろうによ。種蒔いたのに俺から金とられていく様なもんじゃねーかよな…。悪い事したよなぁ。と言いつつ競輪選手やりながら、東北6県売り回ってたな(笑)。そうしてるうちにいつの間にか趣味をやんなくなった。

■ このお店OPENさせたのはいつなんですか?

T 約20年前。昭和63年7月29日だったかな。でも毎日店に居るのはここ5年だよ。店やって20年になるけども、そのうち15年はずっと競輪で色んな所行って売りながら歩いてたから半分もこっちに居なかったんじゃない?

■ その間は誰がお店を?

T 奥さんだよ。奥さんがいたからこのお店を続けられたようなもんですよ。

■ 土田さんが一番好きなフレームは何ですか?

T 一番長く乗って、一番一着穫ったのはエベレストだよ。でもまぁ今造るの辞めちゃったからね。

■ エベレストを乗り始めた理由は何なんですか?

T 一番細かく奇麗に造ってくれるメーカーだからだよ。

■ そういうのってやっぱり選手の中でも「こりゃいいぞ!」とか噂にもなるんですか?

T そりゃそうだよ!でも金額高いからみんななかなか造らないよ。だから俺も最後までずっと乗ってたんだけどさ、あまりにも高いから降りてボーグにしたんだよ。あとね、商売やってる身だから1つじゃなくて色々なメーカーのものを乗ってみないと解んないでしょ?ウノやプレスト、ナガサワとかも乗りましたよ。俺はその中でもやっぱりエベレストだったね。単純に観て一番カッコ良いなって誰でもあるじゃん。ただ、オフセットって直進性やハンドルのキレとか自分に合った細かい調整も考えないと駄目だから、カッコ良さばかり追求しても駄目なんだけどね。普通ナガサワはそこまで細かい調整受けないからホントに知ってる奴は乗らないよな。中野浩一が乗ってるっていうイメージで乗ってる人が多いんだけど、決して俺はそんな良い自転車とは思わないけどね。

■ 中野浩一は相当な実力があったんでしょうね…。

T 中野浩一と同じレースで3回くらい一緒に走ったけどね「あぁ、コイツは強いな」って思ったよ。どこで踏んでるか解んないんだよ。

■ ど、どういう事ですか?

T 普通はさ、ペダルに一番力が入るのは時計で言うと2時~3時位の位置で、後ろにくっ付いてると「次のあそこで踏むな」って大体予想出来るわけだ。中野浩一は足が何処にあろうが加速が変わんないんだよ!

■ 読めないんですね!?

T それを見て「あぁ、コイツスゲー奴だ!」って思ったよ。九州の田舎者ってみんなで馬鹿にしてたけど、競輪はホント強かったな~!

■ 土田さんが競輪人生の中で一番感動した事は何ですかね?

T う~ん…、30代の頃高原永伍に勝って優勝した時かなぁ。

■ 当時の一番の強者に勝ったと!?

T でも過去の栄光にぶら下がってたくは無いから、あぁそんな事もあったな~位にしか思ってないよ。前へ前へ、今現在と先しか見てないからさ。過去の栄光じゃ食えないからな(笑)。

■ 50歳になってから世界選手権2位になった時あるじゃないですか?あれはどういうキッカケで出場したんですか?

T あれはね早い話5本のライン、アルクアンシエルが欲しかったんだよ。世界チャンピオンの証。それをねトラックと店の壁に図々しく貼ってたんだよ。インチキ者だろ?早い話。俺チャンピオンじゃねーんだからよ、やっぱり現実欲しくなるじゃん。

■ それは公認とかされるんですか?それとも気持ちの問題?

T 気持ちの問題だけどよ、胸張ってやりたいんだよ。そこらのショップで終わりたくないしさ。あとね30年近く競輪やってきて50歳にもなるとねどうしても弱くなってくるんだよ、いくら経験があっても若い奴に足じゃ敵わないんだよ。だからね世界に行って何位になったとか、そうやって自分を高揚させるしか無いじゃない。

■ それは何回挑戦したんですか?

T 98年から6回行ったね。金出せば誰でも出れる大会なんだけどな(笑)んでスプリントで2位になった。でもな世界選手権はもうそれ以来。ツールドフランスやエタップドツールと違って人気が無いんだよ、観客がせいぜい300人も居ないからな。ツールドフランスって観た事ある?あんな2000Mもある山岳地帯に自転車通れないくらい観客が押し寄せて「ワーッ!」って応援してくれんだよ!俺が行ってるパリブレストパリも素人のレースなのにその状態なんだよ!3日間くらい走りっぱなしなんだけど、夜中とか暗い田舎走ってても家の前におばあさんおじいさんが孫抱きながらパチパチ手を叩きながらがんばれーって応援してくれるんだよ、考えられないぞあれはホント、張り切るよおれは。そんな応援してくれるんだよ。ヨーロッパは自転車文化が浸透してるんだよな。

■ エタップドツールは今年も挑戦するんですか?

T もちろんだよ!これが今年のエントリー用紙だよ。10回行ってやっと行ってるって言えると思ってるからな。奥さんには一回行けば50万円位使って何やってるんだよ!って怒られっけどな(笑)。

■ 次の質問なんですけど自転車人生を歩んできた土田さんからみて、今のピストカルチャーにはどんな想いでみてますか?

T どんな想いって言うか…、人間の本性だろうね。人間が魅かれる”S”がつく3つってあるだろ?スリル・サスペンス・セックス。そのうちの2つ入ってるんだよな。ブレーキ付いてねーだろ?うんと踏めばスピード出るだろ?それは止める事出来ねーだろうな(笑)。

■ そうっすね(笑)

T それは避けられねーけど、売ってる立場からしてみたら危ねーよな(笑)ビデオ観ても思うけど、誰でもこぞって真似出来るモノじゃ無いよあれは。恐ろしいよね俺かりゃすりゃ。トラックレースで危ない目にいっぱい遭ってるからブレーキ付けてっけどよ。イギリスなんかは、土地柄みーんなシングルスピード乗ってるな。後ろは固定ギヤだから前ブレーキだけ付ければ法律上OKだもんなあそこは。ウチにも県警の人来るしな。まぁでもブームが去れば誰一人乗んなくなっちゃうて気もするよ。

■ これから挑戦したい事は何ですかね?

T これから?いっぱいあるよ。5月に200KM、6月に300KM、8月に600KM、9月に1000KM、6回目のエタップドツールだろ?鳥海のヒルクライムに出て、富士スピードウェイの200KM、SUGOUの7時間耐久に出るよ。だからこの日は全部お店お休み!

■ よくやるっすよ…。

T 来年はロンドンのエジンバラ1400KM!!

■ えぇ!?

T 4日位で走るよ。

■ 土田さんが一番幸せを感じる時はどんな時ですか?

T 幸せを感じる時ねぇ~…..。苦しいなぁ~苦しいなぁ~って思ってる時が一番幸せなのかもしんねぇな(笑)

■ 一同爆笑!!

T 去年のエタップドツールでさ何峠だっけなぁ?凄い急な長い上り坂でさ、太陽の熱でもうアスファルトがベチャベチャに溶けてるんだよな。何だよこれ!?って思いながら重いな~重いな~って登ったよ。そして何とか完走したもんな。ゴールした時は快感だー!!なんて無いよな。「はぁ~、やったぁ。」こんなもんだよね(笑)水泳もそう。バタフライの200Mがね、今きついんですよ。年々腕が上がんなくなっていくんだよ。ホントに苦しいったらねーよ。Mの世界ってヤツですね(笑)


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