MHAK / ISSUE18

Date : 2010.12
Common Magazine issue18

HUMANREPORT × MHAK as Masahiro Akutagawa

MHAK PROFILE

ISSUE18 DETAILS


□ よろしくお願いします。

MHAK(以下M) お願いします。

□ MHAKって名前は本名を省略してるんだよね?

M そうです。MasaHiro AKutagawaの大文字部分をとってます。

□ 名前の読み方は「マーク」で良いんだよね?

M みんなが「マーク」って呼ぶので「マーク」でいいかな?って。MHAKって普通に読もうとしたらなんて読むか分からないじゃないですか。英語圏の人で初めて会う人達は素直に読もうとするから「マック」とか「マハック」って呼ぶ人も居るけど「マーク」って呼ぶ人も居ますね。

□ 創作活動をはじめたキッカケを教えてください。

M 絵描きとして活動を始めたキッカケは、6年前になりますね。その時はグラフィックデザインをメインでやっていて、ストリートウェアブランドのグラフィックデザインがほとんど。でも、自分の好きなデザインを作るっていうのは少なくて、ある程度の題材があった上でロゴを使ったり分り易いデザインをする事が多かったですね。自分が好きなモノとかを織り交ぜるとどうしても自分の好みに偏るっていうか。結局売れるものは分かり易いデザインだったりするから作っていくうちに自分の中で疑問が出てきたんです。分かり易く一般受けするものを作っていても面白くないなって…本当に漠然とですけど。そんな仕事と並行して、ストリートアートには昔から凄い興味があったから、ちょくちょく制作したりとかはしてたんです。自然と自分のスタイルみたいなモノを追求することもずっと続けてた。そんな中、2004年の12月位にニューヨークでのグループ展に誘われたんです。ニューヨークの地下鉄50周年記念のグループ展。その時の参加アーティストがもう凄いメンツで。FUTURAやSTASH、HAZEとか当時から第一線で活躍してたアーティストだらけで今考えると本当にあり得ないメンツだった。

□ それはMHAK君個人として呼ばれたの?

M おもちゃ会社から誘われて発表は個人名。その時の自分はデザイナーだったけど会社員だし。で、そんな話がいきなり来ちゃった。昔からおもちゃは好きだったんでトイショーとか毎回行ってたから、おもちゃ業界にも知り合いが何人か出来てたんですよ。その当時ってファッショントイがブームだったし有名な絵描きはみんなおもちゃを作ってた時代。そのおもちゃ業界から話が来たんです。僕が密かに絵を描いている事を知ってくれてて『やってみる?』みたいな軽い感じで参加させてもらった事が絵描きに転向するキッカケになりました。でも、いきなりそんな凄いメンツの中に僕も参加したので絵描きとしてやっていけるんじゃないか!って自惚れた勘違いもしました。笑

□ 勘違いなんだ!笑

M 今考えると考えが甘すぎでしたね!そんな簡単な訳が無い。でも、絵描きとしてやっていこうって決意したのがこのグループ展だったので、これがなかったら絵描きに転向してないかもしれない。

□ その時はどんな作品をつくったんですか?

M 今はもう大分進化しているんですけど、当時からカービーなモノを描いてましたよ。

□ その参加したグループ展にはどうやって落としこんだの?TOYとして?

M まさにそうですね。その企画自体が地下鉄の模型にアーティストが絵を描いたりカスタムして展示するっていうショーでした。それで僕は模型に絵を描いて、ニューヨークに送ったんですけど、そのショーが終わっても特に何の反応もなく……
一同爆笑
あ、でも参加アーティストにのみ配られた金メッキの地下鉄の模型は、今もうちの玄関に大事に飾ってあります。

□ それが終わって本格的に絵を描き始めたんだ?

M そうですね。絵描きって絵を描く以外に何をすればいいんだろう?って考えるようになったんです。今までは自然と絵が好きだから描いてたんですけど、その先に何をしたらいいのか分からなかった。その頃から東京の色々な絵描きに出会うようになって、ライブペイントの存在を知ったんです。その世界に入れてもらい、ライブペイントをしていくようになって…っていう流れですね。

□ 高校時代とかから絵は描いていたの?

M 描いてましたね。漠然とストリートアートの何でもありな感じを素直に受け止めた頃だから、自分の中で好きな様に描けばいいじゃん!っていうスタンスで。例えば学校の美術の課題で『花を描きましょう』とかあるじゃないですか。そういう時はそのままの花を描いて提出するんじゃなくて、思いっきりデフォルメして提出してました。与えられた題材を捻くれて描きたい!っていう願望はありましたね。風景画とかも色をチグハグに描いたり。

□ 絵を描き始めたときに影響された人だったりとかいる?

M その当時影響された人は……自分でも覚えてないですね。ただ自分の中で上手いかどうかは重要ではなくて、作品の雰囲気が単純に格好良いか、お洒落かどうかっていうのが判断する上で重要な基準だったんです。だから、与えられた題材に従ってみんな同じ絵を描いて、その中で上手い下手を決めるっていう事に疑問を持ち始めてたんです。

□ 地下鉄のイベントに参加した後はどうだったの?

M ライブペイントを定期的にするようになっていって……2005年頃かな?青山のギャラリーウォールでの3人展に参加したり、知り合いの事務所の壁画を描かせてもらったり、アパレルブランドとのコラボをし初めてたり……色々広がり始めてましたね。

□ 日本で?

M 日本でです。その時は日本で絵描きとして経験を積んでましたね。色々な絵描きに出会って、その人達の活動に刺激を受けてた……そんな中、突然アメリカのポートランドで初個展が決まったんです。
ポートランドでビンテージTOY専門のおもちゃ屋を経営していてスターウォーズコレクターのビリーっていう友人がいるんですけど、トイショーで日本に来た時に「ポートランドでギャラリー始めたんだ。」って言うから、ポートフォリオをそのギャラリーのキュレーターに渡してもらったんです。後日キュレーターのマットからメールが来て2007年にポートランドで個展をする事が決まり、初めての個展を経験しました。

□ MHAK君自身も行ったの?

M もちろん。自分の初個展だったので。

□ 一人でやる?人生初の?

M そうです。人生で初の個展が海外でやれる事になって、得る物がデカ過ぎました。アメリカのアーティストにもたくさん会わせてもらって話をしたり、日本とアメリカ(ポートランド)のアーティストにおける環境の違いに驚きました。

□ 例えばどんな感じ?

M 誰の家に行っても絵が自然に飾ってあったんですよ。

□ 日常生活に存在するものなんだ。

M 絵は日常生活に必要なモノって認識されていると感じましたね。高校生でも普通にアートショーに行くし、そこで気に入った作品があれば買って帰ったりもする。また、アメリカだと作品を気に入ればどんなに仲の良い知人であってもギャラリーを通して絵を買ってた。作家個人からではなくギャラリーから作品を買う事で作家のサポートに繋がってる。

□ 助けてやろうって精神なの?

M それが応援するって事みたいですよ。作家自身も作品の価値は段階を踏んで上昇するものって理解しているし、絵を描き始めたばっかりだったら、どんなに頑張って描いても作品に見あった価格設定をするんですよ。ちゃんと自分の現状を理解してましたね。
日本の絵描きは新人でもいきなり高額な値段をつけたりする場合があると思います。もちろん人にもよると思いますが。そもそも日本の場合、若い作家の発表場所は貸画廊が多くなってくるから、どうしても作家自身が自分の作品に値段をつける事になる。誰だって自分の作品を安く売りたくないだろうから客観的に自分の作品価値を決めれない。その辺の経験の差は感じました。
僕も初めて個展をやった時に作品の値段を付けてもらった時は焦りましたね。「安!!」って。

□ MHAK君自身も日本人的な感覚があったんだね。

M ありました。でも、アメリカで「全然無名のアーティストなんだし…」ってはっきり言われた時に、もちろんその通りだなって思えた。
僕の場合、人の手に渡ってその人の生活空間に飾ってもらわないと意味がないと思ったから、価格設定は全てキュレーターにまかせたんです。そのお陰で作品が売れて、お客さんとの交流も生まれ、何よりも自分の事を全く知らない人が作品を買ってくれるっていう感動を味わう事が出来たんですよ。

 

 

□ ちなみに初めはどれくらいの値段だったの?

M 30cm四方位のサイズで120~130$。デッキサイズで250$。持って行った中で一番大きい作品でも400$だったかな。

□ 全部一点物だよね。

M もちろん!
安い事が格好悪いことじゃないって思えるようになったんで、チャンスがあるならアメリカ以外でもどんどんやってみたいっていう気持ちが生まれたんです。

□ 1都市?

M 個展はポートランドだけ。ポートランドは凄く良い街なんですよ。なんていうか街全体がクリエイティブな感じ。でも時間は凄くゆっくりなんです。アーティストやクリエイティブな人との出会いが本当に多いから凄く良い刺激を受けますし、得る物が大きい。これまで2008年にも一回。今年も6月に呼んでもらい作品の価値もちょっとずつだけど上がって来てるんです。

□ アメリカって良い環境だね。確かに日本は欲しいけど高いから買えないもんね。

M ホントに作家にとっての未来がある国っていうか…制作環境だってみんなバカでかいスタジオ持ってたりするし、頑張ればサポートもしてもらえるみたいですし、絵描きにとっても良い環境が揃ってる。

□ アメリカを経験した上で日本でもそのスタイルで展示したの?

M 壁画ベースでのインスタレーションはしました。けど、作品を展示販売する個展はしてないですね。日本で個展を開催するってなったらインテリアとして捉えれるように提案した形で発表したいと思ってます。そもそも自分自身が絵に興味を持ったきっかけが生活空間の中の物なんです。
絵っていうのは、誰かの生活空間に入って、そこで一緒に生活をする。その為のものであって欲しい。僕自身も部屋に飾りたいと思わないと作品を買わないし。

□ キャンバスに描く時はその人の部屋まで見た上で描きたいって感じだよね?

M そうですね。その人の生活空間に合うように描きたいし、だからこそ内装壁画をやっていきたいと思いますね。

□ 今まで出会った絵描きさんとは違うね。

M 考え方が違う絵描きと話す機会が多くなってきたから、絵描きとはこうでなくてはならないっていう考えに流された時期もあったんです。別にそれが駄目だという訳ではなくて、自分を見つめ直す良い機会になったし、他人の価値観を受け入れる事が出来るようにもなったんです。僕のやってる事って人の為であるのが前提にあってプラス自己満足でもある。
だから、どっちかというとデザイナー寄りの考え方なのかな?って思ったりもしますね。

□ なんか垣根なくやっているイメージはあるよね。作風もそうだけど、人の繋がりとかも含めてだけど。自分の内面だったり、その時の心理状況だったり、環境だったりとか、そういう感じでもないもんね。

M そうではないですね。内面とか感情ってよりかは、自分が綺麗とか格好良いって思う流れを感覚に任せて自分流に描いているだけで、それに共感してくれる人がいれば嬉しいし、ただそれだけですね。

□ 外に描いたりはしないの?

M 僕の場合は仕事としてのみ描いてます。例えばアメリカの”Jupiter Hotel”ってブティックホテルの場合は外壁なんですけど、建物で囲まれた中心部分へのペイントだったから、自分の中で”Jupiter=宇宙”っていうテーマを決めて、その空間の中で自分流の宇宙を表現した作品を制作したんです。
僕の作風って決まった一つの形を描いているので見た人には具象画なのか抽象画なのかわかりづらいでしょうね。でも、そこは明確にしたくないんです。例えば目とか口のようなパーツがある絵を描いてしまったらそこに何かしら生物が描かれてるって認識が働いちゃう。それだと空間と絵を別々に認識しちゃうから空間との融合にはならないって思ってて自分が求めてる『空間と絵の共存』からは離れちゃうんです。
僕は作品を見てくれた人が『よくわからないけどお洒落』とか『格好良い!』とか思ってもらえたらそれだけで満足ですし、作品を描く上で自分が格好良いと思える物を追求していく事が自分のスタイルの形成に繋がっていると思ってます。

□ MHAK君の描くモノって「コレ!」っていうのではなく、メッツの時もそうだったけど世界観だよね。

M そうですね。パターンや模様に近いですね。そういう画風であれば違和感なく空間に溶込むんじゃないかって思っていて、自然に出来上がったのが今のスタイル。
俗にミッドセンチュリーモダンと言われているデザイナーズ家具とか内装には特に影響を受けてて、例えばストレージユニットの木を活かした色使いとか、イームズ、パントン等のデザイナーズチェアの曲線美に魅かれたんです。
そういう家具からの影響で曲線をベースにカラフルに描くようになったと思います。しかも曲線って自然に繋げ続けられるじゃないですか。クルクルって。流れるように描けるというか。

□ あの形に名前はあるの?作品名じゃないけど…

M 特に無いですね。
一番最初に壁画の仕事をもらったのが美容室で曲線をベースに描いてるけどまだパターン化していなかったし、そこから段々削られていきましたね。
長い間、曲線での構築を追求してきた結果、今の形に落ち着きました。昔の壁画の作品と比べると明らかに違うのがわかると思いますよ。

□ 美容室の仕事は何歳の時?

M 2006年だから25歳ですね。その後から徐々にモチーフの形が分裂して規則正しくなっていったんですよ。

□ シンプルに無駄な物を削いでいったんだね。中の色はどうやって塗ってるの?

M ベタの時もあるし、ローラーを使う時もあります。2008年にコンパウンドの壁画を描いた時に、用意出来た色数も少なくて時間も2,3時間しかない。壁も結構デカくて、時間も無いしベタで塗ってたら絶対終わんない。ベタ塗りしてサンディングしてフラット出してって繰り返していったらめちゃめちゃ時間かかるじゃないですか?そこで、ローラーを使ったらどうかな?って思いついたんです。
何も考えないで描いた壁画が自分の中で「キタ!」ってなったんですよ。

□ その時が初ローラー?

M そうです。この壁画が自分の中で『ヤバい!モザイクみたいだ!』って感じたから、そこからはどんどんバリエーションを増やしていきましたね。

□ そういう感じだったんだね。

M モザイクが活かされてきて、チェックを作ったり同色系で重ねていったり。

□ 話は変わるんだけどさ、ポートランド以外でアメリカの展示はないの?

M ロスとかニューヨークでのグループ展に参加しました。

□ それはポートランドで出会ったアーティストから?

M ほとんどがポートランド以外のからのオファーですね。この前もデトロイトのギャラリーから展示しませんか?って話もあったんですけど、タイミングが合わなかったので断りました。有難い事に色んな所からお話は貰えるんですけど個展に関しては自分のタイミングがあった時にやりたい。あとは全面が白壁に覆われたスペースにキャンバスを飾るっていう一般的な見せ方が嫌で、自分の見せ方として合ってないと思うようになりましたね。どうせなら世界観を作らせてくれる所、極論をいうと建売り住宅とかマンションとかのモデルルームに壁画を描いたり作品を飾ったりというような家具を含めた生活空間をトータルで見せたいですね。

□ 自身が展示で行った海外でポートランド以外は何処があるの?

M アメリカ以外だとアルゼンチンのブエノスアイレスですね。

□ 何でアルゼンチンに?どういう経緯で?

M リーバイスとは2008年にグローバルカスタマイズドボタンカバーっていう企画でコラボさせてもらったんですけど、そのコラボ商品がグローバルでの発表だったのもあって国ごとに発表のタイミングが違うんですよ。日本では2008年の10月位に発表され、2009年の4月がアルゼンチンだった。最初はUS本社から連絡がきて、次にラテンアメリカディビジョンから連絡があり細かい事はアルゼンチンのPR会社と4ヶ月間くらいかけて詰めていったんです。パーティーの為に僕の作品でオブジェを作ったり、展示会場の中に特設で壁面も作ってもらったんでそこにも描かせてもらいました。

□ それはどれくらい前の事?

M 2009年4月です。

□ リーバイスとのきっかけは?

M リーバイスのマーケティングに専門学校時代からの友達がいて、アーティストコラボレーションの企画があるって声を掛けてもらい、コンペにエントリーしたのがきっかけですね。
コンペは世界中から様々なアーティストがエントリーしていたし、あまり期待はしてなかったんですけど、嬉しい事に僕の作品を選んでもらえたんです。

□ 海外とのやり取りとかは全部MHAK君一人でやってるの?

M もちろん。自分でするしかないんで。

□ そうなんだ!凄いね!

M 結構大変ですよ。基本がメールでのやりとりしかないから本当に信用できるのか?どうかの判断は自分で決めるしかない。アルゼンチンの場合は、24時間も飛行機に乗って行ってみて誰もいなかったらどうしようって不安がずーっとありましたから…スペイン語なんてわからないし初めての南米だし…

□ ちゃんと自分をマネージメントしてるよね。

M しないといけないですからね。自分で自分を売り込んで行くしかないので。
海外でも本当に良い出会いがたくさんあるし、ほとんどが次に繋がっていますね。

□ 誰かマネージメントしている人が周りにいると思ってたよ。

M いたほうが楽なんだろうなとは思いますよ。でもある程度は自分でも出来るようになっていたいと思いますから常に本気で取り組んでます。それでも上手く丸め込まれたりする時もあるけど、それも経験なんでしょうがないと思ってます。
そういう経験を積む事で今後に活かす事が出来るし、自分のメンタルも強くなっていくので常に勉強ですね。

□ 今サポートしてもらっているのは?

M 画材はCreatex Color、ブランドだとLevi’s、SAGLiFE、SUSPEREAL、El.BrownあとIUTERです。

□ 具体的にどんなサポートをしてもらってるの?

M 画材はインクの提供。ブランドからは洋服を頂いたり、個展に協賛して頂いてます。

□ 他のブランドとはどんな感じで繋がったの?

M SAGとは……4,5年前かな?友人の絵描きを通じて知り合いましたね。アパレルにいた時からお世話になってたSUSPEREALとはもう8年くらいの付き合いになります。El.Brownは夜遊びしてる時に紹介してもらって。
コラボ企画とかは僕の場合、大体が夜遊んでる時に紹介してもらってなにか一緒にやろうよ!って流れで始まるのが多いですね。

□ IUTERとは?最近ですよね?

M IUTERのコウキ君が来日した時なんで1年位。

□ その時はどういう出会い?

M その時は知り合いの展示会に行った時にたまたま出会ったんです。その時丁度僕がオーストラリアから来日してる友人をアテンド中に展示会場の喫煙スペースで「Hey! How are you doing?」って普通に英語で話しかけられて。コウキ君って見た目が外国人だから当然会話は英語。でも普通に日本語も話せた!その時は名刺交換しただけなんだけど、その後「IUTERってイタリアのストリートブランドがあるんだけどコラボしませんか?」って内容のメチャメチャ丁寧なメールが来たんです。
じゃ、ちょっと会いますか?って流れになって、そこで初めてIUTERがどんなブランドなのか教えてもらったんです。
国外のブランドとコラボするなら日本の作家をイタリアに紹介出来るきっかけになると思い複数でやりたいってずっと考えてたんです。それで他のアーティストに声をかけてみるから日本人アーティスト複数ではやれませんか?っていう提案をしてみたんです。そしたら、イタリアでOKを貰えて、今回TENGA君と大友昇平君とともに参加出来ることになったんです。

□ 初めて会った時に作品も渡したの?

M 渡してないです。コウキ君がホームページを見てくれて連絡をしてくれました。

□ そういう経緯なんだね。ホームページって大事だね。

M 僕の場合は国外での活動も視野に入れてるんで、ウェブサイトがないと厳しいかなとは思います。

□ 国外に目を向けているのは何故なの?

M やっぱりまず環境が整っているというのと、作品に対する評価がはっきりしてるから。
ショーに来てくれたお客さんに「家にも描いてよ!」と言われる事が普通にあるんですよ。海外ではアパートやマンションでも壁の塗り替えが当たり前だからでしょうね。
リビングやベットルームにとかそういう依頼が沢山あるので、やりたい事が出来る環境には近いから移住プランも練りたい。個人的な趣味でも家具やアンティーク雑貨も安くて良い物がゴロゴロ出てくるからずーっとアンティークショップ巡ってたい。でも、移住となると色々問題も出てくるし、日本でもっと頑張っていくしかないかなと思います。

□ HOTEL METSの時が良い機会だったのかな?MHAK君を体現しているモノとしては。

M そうですね。HOTELってやっぱりお客さんがいて初めて成立する事なんで。自己満足で描こうと思えばいくらでも描けたけど、お客さんが滞在中に息苦しくなったらそれで終わりじゃないですか?HOTEL側が求めていたのはもっと激しい作風だったかもしれないですけど、あくまでもやり過ぎないように心掛けました。HOTEL METSでのプロジェクトは空間全体を全部自分の指示で作らせてもらえたので、本来自分が一番やりたいと思っていた事なのかもしれませんね。

□ 家具とかも?

M そうですね。椅子もカーテンも自分のファブリックを作ってもらえましたし。

□ 他の人は壁紙に直接プリントだったりしたけど、直にペイントしてたよね。

M 人間味を感じて欲しかったんです。”直接描いてる”っていうのに気づいた瞬間を大切にしててクラフトマンシップは凄く大事な要素として捉えてるから、ブラシの刷毛目だったり職人技的な感覚を感じてもらいたい。

□ あれって期間限定なの?

M ある程度の期間は残ると思います。

□ 椅子好きだよね。ポートランドの時にも展示したりしたよね。

M あの時は僕がどうしてもイームズのカスタムがやりたかったんで、事前にギャラリーのオーナーに何脚か用意してもらったんです。それが状態も完璧なイームズのサイドシェル。お陰様であの作品は展示前日のプレヴューで1setに対して複数のオーダーをもらえたんです。

□ 家具好きだよね?

M そうですね。大好きです。自分のコレクションも増えたので今度はあのカスタムシリーズに取り掛かろうと思ってます。日本ではインテリアとしての作品と捉えてもらうきっかけになれればと考えてるので、そういう形で展示したいと思ってます。

□ 洋服でのコラボレーションも結構しているけど印象深いのは?

M 結構どれも印象深いので、選ぶのは難しいんですが、一番面白かったと思うのはIUTERですね。本当に自由にやらせて貰いましたから……イタリアのマーケットっていう未知な領域も考えながらの企画だったし。
アメリカのブランドとも何回かコラボさせてもらってるんですけど、僕の場合は感覚が違う分海外とのやり取りが断然面白いですね。例えば日本だと洋服の色って白黒を好む傾向があるじゃないですか、もちろんそうじゃない人も居ると思いますが。
でも、アメリカは赤とか黄色とか原色系を好んで着る人が多い。普段日本でのコラボでは絶対に選ばないカラーリングで作れるから凄く面白い。向こうもコラボについてのアイディアを提案してくれたり一緒に良いものを作ろうっていう気持ちがわかりやすいくらい伝わってくるし。

□ 今までCommonでは結構会津出身のアーティストや職人さんを特集しているんですけど、会津ってアーティストを育てるなにかがあるのかな? 土地柄なのかな?

M 会津は城下町で伝統工芸もあるし自然が豊富。何より歴史があるからじゃないかなと思いますね。
実際、小、中学が同じだった友達の中でも学(建築家/家具職人)とか大森君(会津塗り職人)とかクリエイティブに携わってる友達も多いんです。彼らとはこれから会津の古民家を改装してお互いにシェアできるアトリエを造ろうっていうプロジェクトを立ち上げる予定もあり、言われてみるとクリエイティブな事やってる人は多いと思いますね。

□ WOODBRAINの舟木さんともBENEさんとも知り合いでしょ?

M 地元の先輩です。しかも舟木先輩とは同じ中学。BENE君とは学校が一緒ではなかったので絵描きになってからの方が交流がありますね。2人とも最高にカッコいいものを作るから本当にリスペクトしてます。

□ これから一緒にとかは?

M 機会があれば是非一緒に何かやってみたいですね。その為にはもっと僕も頑張らないと。

□ またまた話は変わるんだけどライブペイントの時はその場のノリで描いてたの?

M 僕の場合はそうでしたね。でも、どうしても完成度を重視しちゃうんで、手数を減らして荒い作品を見せたくないって思いはじめてからはやってません。例えばエッジがガタガタだったり、曲線が綺麗じゃなかったりとか……そういうのが自分の中でどうしても納得いかなかった。そういうのを直していくと全然絵も進まない。そんな事を考えてるうちに短時間で作品を仕上げなくてはならないライブペイントに興味が持てなくなってきて。

□ 作り上げた物を完璧に仕上げたいんだね。

M 自分の作品は出来上がりが綺麗じゃなきゃいけない。ベタ塗りにしても完全にフラットを出したいし、遠くから見たら綺麗だけど近くで見たら汚いとかどうしても納得がいかないんですよ。

□ METSの時のロゴとかプリントしたみたいに綺麗だもんね。

M まさにあの感じですね。

□ 家に籠って創作するってこともないの?

M 展示前は完全に籠りますよ。

□ 今後の面白い動きってある?

M 大きい事だと、来年の4月にミラノでインスタレーションをする予定です。あとは、個人的にやろうとしている事で家具職人の学と家具での作品も発表しようと思ってます。

□ 家具そのものを?

M そうです。テーブルや椅子等に僕のアートワークを入れつつ自然な形で作りたい。

□ 出来ている物の上からじゃなく……

M もちろん1から。木目を活かして作りたいから素材は絶対に木材と決めていて絵も含め1つのものとして共存させた家具ですね。

□ なんか空間プロデュースとかしそうだよね。

M 出来るのなら喜んでやりたいですね。空間に対してのアイディアはいっぱい出てくるし。HOTEL METSで経験したことが本当に自分のやりたい事だと再確認出来たので、内装に関してはトータルでプロデュースさせてもらえたら最高です。

□ MHAK君自身は東京で活動していて地方の動きってどう見えるかな?

M 地方で活躍している人は地方独特の色があるし、凄い刺激を受けますね。東北には特に愛着もあるし、僕も地元を盛り上げる活動をしていきたいですね!

□ 歴史的に見ても会津って重要だし良い所だからね。今日はありがとうございました。

M ありがとうございました。


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