Hideaki Aihara / ISSUE08
Date : 2008.06
Common Magazine issue08
HUMANREPORT × Hideaki Aihara
■ よろしくお願いします!
AIHARA(以下A) お願いします。
■ Selector、Shop Owner、Event Organizerと他にも色々あると思うんですが、AIHARAさんが自分を表現する上で、原点と聞かれた時にどれにあてはまりますか?
A Selectorが一番要素が強いというか……天職な感じがするかな(笑)
■ やっぱりそれが一番原点にあって、それからShopだったりするんですか?
A そうだね!ビジネス的に繋がってるのもその時の友達だったりが多いかな。
■ ではその音楽との出会いって聞いていいですか。
A 中学生の時から音楽は聴いてたんだけど、決定的だったのは88年くらいにNYで3、4ヵ月ぐらいプラっと遊んでて、ひょんなコトからジャマイカにちょっと2週間旅をするっていうコトになって、そこでジャマイカ行っちゃたら「もうこれだな!」みたいな(笑)
■ NYに行くきっかけっていうのは?
A HOUSEのDJやってる友達がいて、その友達の部屋が空くっていうので3ヵ月くらい行かないか?みたいな感じで、じゃー3ヵ月遊びに行くかって感じかな。
■ それまで音楽はなんでも聴いてたんですか?
A HOUSEも聴いてたしHIP HOPも聴いてたし何でも聴いてた。
■ コレだ!!って感じじゃなかったんですか?
A なかった。日本の音楽シーンってかクラブシーンがコレっていうのじゃなかった。その頃はカテゴリ化されてなかったね。だからなんでも聴いたかな。あと80年の半ば頃にヨーロッパによく行ってたんで、ロンドンのブリクストンって所でJAZZY・BってSOUL 2 SOULのあの人がPlayしてて、っで凄くそこのコミュニティーが良くて毎週行ってたのかな?ロンドンに居るときに。それでそういうカリブの音楽は免疫があったっていうか。
■ なんでロンドンだったんですか?
A それはアパレルの仕事してたから。まぁアパレルっていってもモノを作る仕事じゃなくて、今でいうマーチャンダイジングみたいな感じで、パリ・コレとかミラノ・コレクションとか回って、日本のメーカーさんに「今シーズンはこの色が流行りだ。」とか「こういうマテリアルだ。」とか写真に撮ったり街角をスナップしたりしてそれを提供する仕事だった。だから年に2、3回で長い期間2、3ヵ月ヨーロッパに遊びに行く、まぁ〜遊びに行くっていうとクライアントさんに悪いけど感覚的にはそういう感じかな。
■ それは何歳くらいのときですか?
A 19〜21歳くらいかな。
■ 初めて行った海外っていうのは?
A 初めて行った海外は中学校の時に行ったハワイ。
■ ハワイ、ヨーロッパ、そしてNYに行くわけですね。
A その当時は経済の中心がNYじゃなかったんだよね。80年代っていうのは。イギリスだった。っで音楽もイギリスから発信っていうのが多くて。80年代の後半にNYに移り変わってきて、それに飛びついたってワケじゃないけど、そっちにも行かないとなってコトで遊びに行くようになったんだよね。
■ selectorとしてはジャマイカに行って帰ってきてからスタートですか?
A そうだね。スタートはそこ。
■ それは何歳の時に?
A 今から19年前かな?22とか23のときかな。
■ その当時ジャマイカに興味があるって凄いですよね。
A ジャマイカに行ったことがあるのが周りに5、6人しかいなかった。
■ 当時の日本のREGGAEシーンっていうのは発展してたんですか?
A してなかったと思うよ。でも物凄いお客さんのクオリティは高かった。好きな人しか来なかったよね!
■ コミュニティーも自然と繋がってくるんですよね。例えば、今のREGGAEシーンを支えている人達など。
A そうだね。繋がってるね。ずっとやり続けてる人とか、俺が回してる時のお客さんだったり。そういう人だよね。初めてジャマイカ行った時はPAPA U-Geeもいたかな?まぁRankinさんしかサウンドシステムを所有してる人が知り合いではいなかったから。その当時。
■ レコードを掘るのも大変だった?
A 7inchがあんまり売ってなかったね、東京は。渋谷にラガマフィンレコードっていうのがあったんだけど、そこにちょこっと入ってるくらいで、あとはウェーブとかシスコとかUKから経由したREGGAEの盤しかあまり売ってなくて。12″EPしか売ってなくて7inch掘るのは凄く大変だった。
■ それこそジャマイカに行ってですよね。
A ジャマイカ行って買ってくるのが一番早い感じだった。
■ そういう時代って凄いですよね!
A たまたま周りが遊び人の集いみたいな人ばっかりだったから、なんの違和感もなくそこに行ったけどね。
■ 周りがいたから?
A 周りが友達も先輩もそういうの好きだったから。REGGAEが好きだったからそこに行き着くよね。
■ 自然とそこに行き着いたみたいな感じですよね。あっちの文化を実際にみて感じたことは?
A 「普通に人間らしくしていい!」ってこと。「人間はそうあるべきだ!!」みたいな。それがあったから完璧にREGGAE転身できたかな。
■ selectorとしてのスタートは?
A 新宿の第三倉庫ってCLUBからミロスガレージにかわったトコロで、MASSIVEってクルーがいて、浪速男とかがいたクルーなんだけど。そこでジャマイカから帰ってきた時に「Playしてくれ」ってことになって。
■ いきなりっスか?
A いきなり。それでPlayしたらメチャメチャウケちゃって。それでオファーが入るようになってそれからずっとやってたんだよね。人は5〜60人しか入ってなかったんだけどノリが良すぎて、凄い良い手応えを感じてそこから始めたんだよね。90年代中盤くらいまでジャマイカに住んでて……
■ 何年くらいっスか?
A なんか行ったり来たりしてるうちに3年くらい経ってて、ずっとそういう状況で日本とジャマイカを行ったり来たりしてる時にTAXI HiFiのスペシャル・ダブ・プレートをジャマイカで撮ったりとか、あと今でいうと伝説のサウンドだけどフィラマンジャロっていうとこのサウンドのオーナーと1stのselectorのリッキーチューパーを連れてくる仕事とかをしながら日本に帰ってきたらRankinさんのシステムでselectorをするっていうのでやってたんだよね。っで、そこで2、3年して結構音楽の思考がちょっとこう……REGGAE好きだけど最先端のREGGAEみたいなのが嫌になってしばらく休んだよ。
■ その何年間はselectorで食べてたんですか?
A selectorしかしてなかったから!
■ 色んなCLUBで回してたんですか?
A 色んなCLUBで回してた。トリプルヘッダーまであったよ。一番忙しいときで一日に2、3カ所で回したりしてた!ファッションショーとかで回して、その後0時まで池袋で、その後西麻布で回すとか。週末は地方に行ったり。
■ そのときはどこかに所属してたんですか?
A TAXI HiFiのときが一番忙しかったかな?ジャマイカにいるときはサンダーゲートっていうレーベルを立ち上げて。
■ ジャマイカでも活動してたんですか?
A ジャマイカはビザ取るためにちょっとやっただけかな。でもレーベルだね!ジャマイカ行ってる時は。
■ ビザを取るためっていうのは?
A 長くいるためには普通の観光ビザじゃなくてワークファミットビザみたいなのが必要なんだよ。っで、ROCKERS ISLANDっていうREGGAE専門のレコード屋のタッカー社長に助けられながら長く入れるビザを取得してみたいな感じかな。
■ 整理すると、都内で活動しながらジャマイカに行ったりって感じですよね?
A そうだね。まぁ1年くらい帰って来なかったり、1ヵ月日本にいて半年ジャマイカ行ったりとか。
■ ジャマイカにいる間は仕事的にはどんなコトをしてたんですか?
A え〜とね、Riddim MagazineのOverHeatってあるでしょ。そこのライターもやらしてもらったりとか、アーティストのちょっとしたブッキングとか、Dub撮りの代行してた時もあるかな。後半はレーベルだね。でも正直あんま仕事しないで遊んでた(笑)
一同爆笑
A ほとんど遊んでた(笑)
■ やれる範囲で仕事してみたいな感じですか?良くいえばバカンスみたいな。
A いや〜精神修行の旅だね(笑)
一同爆笑
■ Dub撮りっていうのは日本のアーティストのですか?
A いや、ジャマイカのアーティスト。一番多かったのはデニス・ブラウンかな。その当時同じアパートに住んでたから、みんな知ってる人でいうと。
■ マニアックなトコロでいうと?
A そういうのもアリ?
■ はい!俺らが全然分からなくていいんで。
A じゃーレーベルの話で、Dub撮りは当時ジャマイカにいるアーティストほとんどしました。シャイライズまでした。SOULのグループなんだけど、ジャマイカに来たときにDub撮りした。そうやってDubスタジオを行き来してるうちにコネクションが出来てレーベルを始めて。レーベルも一番最初にスタラグってオケが凄く好きで、それをリメイクしてダニー・マーシャルっていう友達だったんだけど、そういうミュージシャンに頼んで打ち込みを全部やってもらってオケを作って、クーリーダンスで凄いヒットしたスキャッタっていうエンジニアにミックスをしてもらって、最初に撮ったのがNANJAMANの『SOUND TERRORIST』なんだよね。その一連でPAPA-B、Hey-Zって3曲撮ってかな。
■ 凄いっすね〜!
A 全然凄くないよ。周りは凄いけどタイミング!
■ あの時にジャマイカに行ったから!っていう感じで?
A 多分それで閃いたんだと思うし、自分でこういう活動しないといけないな!って。
■ それは何歳の時っすか?
A 20代後半だったよね。
■ 完全にパイオニアですね!
A 30歳になったらselectorやめようってなんとなく決めてたから。凄い人がいっぱいいて、それこそ若かったけどMighty Crownとか凄かったし。
■ 当時都内で一緒にやってた人ってどんな人達とやってたんですか?
A ミックス担当だとしたら…今のカミさんのChieko Beauty、NANJAMANもだし、Chappie Ranksもそうだし、都内だとRankinさんもそうでしょ、H-MANもだし、今第一線やってる人達とはセッションしてるかな。 PUSHIMとかNG-HEAD、TAKAFIN、JUMBO MAATCHとかあの辺のアーティストとはバスに乗ってツアーを周ったりした。四国とか九州とか。広島もいったかな?
■ その頃には日本にREGGAEっていうのは浸透してたんですか?
A してたね!もう各地に〜Soundみたいなのとかは1個くらいは出てきてはいた。仙台だったらThousand Baseとか長いでしょ。そういう各地の動きはあったね。
■ 海外のアーティストとかは絡みとかありますか?
A シャバ・ランクスが最初に来日したときに前座したことあるかな。スーパーキャットもある。HIP HOPだとサイプレス・ヒル、スヌープの初来日、ドクター・ドレー……。
■ ヤバいメンツですね!
A それは六本木のベルベットってとこでやったんだよね。
■ 他にもいるっすか?
A あと色々いたけど……Soundだとキラマンジャロとか、ストーン・ラブかな?
■ BIG過ぎますね!
A いや〜でも前座だから。
■ でも、なかなか経験できるコトじゃないですよね!
A だから凄く面白かったよね!ドレーとスヌープの時は凄く緊張したよね。
■ その2人は別々ですか
A いや一緒!『Doggystyle』かな?その時だから90……94年かな?たしか?
■ その時のエピソードとかありますか?
A エピソードは…………あるよ(笑)
一同爆笑
A こっちはREGGAEでしょ!っで、お客さんはHIP HOPだよね!しかもほとんどベースの黒人で、その中で俺はREGGAEをかけたんだけど物凄いブーイング!そんなお客さんと軽くバトルみたいなコトして初日凄い落ち込んでて、「明日からHIP HOP回したらいいかな?」みたいな話をしたらドレーが「いや、REGGAEやれよ!」って「REGGAEで勝負しろ!」みたいなコト言って、それでヘネシー貰ったんだよね(笑)
一同爆笑
A それで勇気づけられたっていうか。今まで現場でレコード回してて一番嫌な現場だったね!それが!
■ 素朴な疑問なんですけど、なんでそこに呼ばれたんですか?
A それはたまたま仲良くしてた人が呼んでたんだよね。
■ オーガナイザーの人ってことですか?
A そう!その人に誘われて。っていうか「やって!」って言われて、それでやらしてもらったんだよね。
■ selectorは相原さん1人だったんですか?
A selectorは1人。あとマイク持ち。
■ あとはHIP HOPの人ですか?
A 前座は俺達だけ。だから苦しかったんだよね!あとクリス・クロスの時はPAPA-RYUTAって地元の先輩なんだけど、その人がDr.中松のトコに行ってクリス・クロスのヒット曲は『Jump』だったでしょ。それでジャンピングシューズ借りてきて(笑)
一同爆笑
A Dr.中松も「じゃー俺もプロモーション行くよ!」ってなって、先輩と2人でステージ上でジャンプしてたんだよね!
一同爆笑
A 「NINTENDO!」って言ってゲームばっかりしてたけどね!クリス・クロスは。
■ いや〜凄いトコロをくぐり抜けてきてますね!
A でも成り行きだけどね。全部。
■ それ20代後半ですか?
A そうだね。
■ 生まれは仙台ですよね?
A そうだよ!
■ 東京の第一線で活躍していて仙台に戻ってきたキッカケって?
A 仙台に戻ってきたキッカケは、19年振りに戻ってきたんだけど、Chiekoさんとの子供ができてChiekoさんの実家が柏だったから柏に住んだんだよ。子供ができると関東近郊ってきついんだよ。遊び場もないし!それでもうドコに住んでも一緒じゃん!東京だからとかもうないし。そういうスタンスでももう良いんじゃないかってなって、じゃーお店でもやるかみたいな。
■ 30歳でselectorはやめたんですか?
A 32歳くらいでやめたね。やめたっていうか1回休憩だよね!それで30代後半にお店をやったんだよね。
■ 仙台に帰ってきて色々な選択があったと思うんですけど、なぜお店っていう選択をしたんですか?
A なんだろうな?洋服好きだったのももちろんあったけど、たまたま若い時にリンクしてた友達っていうのがNINE RULAZだったりBackChannelだったりでそいつらが波に乗ってきてる時期で俺もお店をやるタイミングが一緒だったからかな。MASTERPIECEのマガラ社長にお店作るときに聞きに行ったからね。この坪数だとどうとか(笑)
■ お店を出したのいつだったんですか?
A 日韓ワールドカップの決勝の日だったから2002年の夏。
■ 仙台に帰ってきてすぐお店を造ったんですか?
A そう!3週間前に来て3週間で全部セットアップした。
■ SHOP名の『CORNER STONE』の由来は?
A 由来は、一緒にレーベルやってた『サンダーキラー』って人につけてもらったんだけど、その人はTAXI HiFiのselectorなんだけど。元々はBob Marleyの曲の名前なんだよね。『定義』とかそういう意味なんだよね。『CORNER STONE』っていうのは。建物を建てる時によく何年何月とかあるでしょ?
■ 石ではめ込まれてるやつですか?
A そう!あれがジャマイカだと角にでかい石を置いてそういう役目があるんだよね。Foundationみたいな意味とか。基礎、ここから始まるみたいな意味合いがあるんだよ。
■ 東京から仙台に帰ってきた時に違いって全然ありませんでしたか?
A いや、あった!自分が仙台に居た時の世代が中心じゃなかったから凄くあった!温度差みたいなのでしょ?そういうのは凄くあった!知らない人ばっかりっていうのもあったし、自分がやってる事で大丈夫なのかな?みたいなのもあった。色々な不安はあったね。
■ その中で一番決定的に違ったのは?
A シーンだね!
■ それはシーンの薄さですか?やっぱり全体的に少ないワケじゃないですか……
A う〜ん……薄さとやっぱりクオリティ!なんか音楽やるのでもアパレルやるのでも志の温度差を凄く感じた。特に音楽をフィルターにして見てると結構そうだよね。週末なんかは、その頃はREGGAEとか凄く盛り上がってたワケでしょ?夏のフェスなんかいっぱいやったりしてて、でもなんでか毎週そういうイベントとかもないし、やっぱりそういうトコロでプロモーションしていかないとやりたい洋服屋も出来ないなぁ〜って思ってたから、だから、そこは凄い必死に頑張ったよね。自分達の友達に来てもらってお店の名前を覚えてもらったり。1周年の時とかChiekoさんや友達に凄い助けてもらった。でもそういう志の温度差を凄く感じた!
■ それは経営者レベルがってコトですか?
A いや、経営者レベルでは仙台も凄い人がいっぱいいると思う。クリエイターだね。自分達から発信していきたいっていうトコロがもの凄く少ないんだなって思った!今はスケーターの連中とかもさ、PILEとか自分達から発信するっていう人がいるけど、6年前ってそんなにいなかった気がする。
■ 何かするなら東京に行かなきゃいけない!みたいな感じですよね。
A そう!でもこっちは逆に東京から来てるから、何かするならもう東京じゃなくてもいいんじゃないか?って思ってきてるから。どこでも一緒じゃないか?っていう感じだったから。別に自分がNY行きたいとか、ジャマイカ行きたいとかで、ただ成田によるだけであって東京のシーンを見ないでいけるようになったから。多分2000年過ぎてからだと思うけど。そういう必要性も感じなくなったから仙台でやろう!って思ったんだけど、いざ来てみたらやっぱりまだまだ東京でやってる人たちは……みたいな感じが凄く多くて。なんとなく分かる?
■ はい!
A そこが凄く苦しい感じに思ったかな。初めのうちは……別に東京じゃなくてもいいじゃん!みたいに凄く思った!東京に行く奴も多いけど、仙台で活動しているGAGLEとかのスタンスは凄い好き!別にそれでいいじゃんね(笑)。
■ そうですね!
A やっぱり好きなことは自分の一番好きな環境でがっちり地に足つけでやっていかないとブレるよね!情報社会だし……洋服にしても画像見てお腹いっぱいになる人も凄く多いから、なんか頭の中だけ分かりきっちゃてるから!そういうのはあまり面白くないよね。やっぱり自分の目で確かめてみたいじゃん!だからホームベースはドコでもいいと思う気がするから。自分の育った環境が一番いいんだと思うし!
■ だから自然と戻ってきたんですかね?
A そう思う!
■ 本能的な部分ですかね?
A そろそろドコでも大丈夫かな?っていうのもあったし。
■ そう思ったときにやっぱり仙台って考えたんでしょうね。
A そうだね!地元と海外しか思いつかなかった!でもジャマイカは何かあった時に帰って来れないしな〜とか色々考えてたんだよね。そしたらやっぱり地元か!みたいな。帰ってきて色々な人に助けてもらったからやっぱり地元の偉大さを感じた!
■ 今の仙台のストリートカルチャーをみてどう感じますか?
A 今は本当に好きでやってる人しか残れない時代だから、スケーターとかさピスト乗ってる連中っていうのは物凄くいいと思う!なんていうかな……ブレないでちゃんとやってるっていうか。なんかこの街でなにかやってやろうって気持ちが凄い伝わってくるから!でも音楽っていうかREGGAEに関してはまだまだっていうか……モノ足りないね。
■ それは本場をみてきたからですか?それとも自分の感覚っすか?
A 自分の感覚だと思う。これくらいはやって欲しいっていうか……なって欲しいなぁ〜みたいな。
■ 逆に言えば「出来るのに!」みたいな感じですよね。
A 凄く出来ると思う!要はストリートカルチャーってクリエイティブなコトでしょ!ウォールに落書きするにしてもタグだけだと頭にくるけど、大作を残されたら文句言えない部分あるじゃん?「コイツは捕まらないようにケアしてやらないとな!」みたいに思うじゃん!タグだけだと通報したくなるけどね(笑)
一同爆笑
A そういう部分なのかな?もっとそれだけで24時間頭フル回転させて、もっとクリエイティブにカルチャーを浸透させていくっていう人達がもっと増えればいいと思うな!例えばサラリーマンして音楽やるのもいいかもしれないけどリアリティーだから、だけど若いんだったらもうちょっと削れるじゃん!もうちょっとそれに当てはめる時間があると思うんだよね。やりたいコトに!1食抜いても別に死なないし、好きなコトやってて1日1回食べれば大丈夫でしょ!1日3食のために嫌なコトやってVibesが乱れたり悪くなったりするならそんなコトやらないほうがいいんじゃないかな?って凄く思う!その時点でクリエイティブな部分がなくなっていっちゃうじゃん!まぁ〜綺麗事だけど(笑)
■ でも分かるっすね。
A そこをもっとハングリーになってやりたいコトを24時間ずっと頭の中でオーガナイズしてやり遂げたほうがいいんじゃないかな?って思う。仙台の人達は特に。
■ 若い人に言ったことあるっすか?
A 若い人にこういうコト言うと嫌われるじゃん!
一同爆笑
A REGGAEの連中には言うけど、それ以外には言わない!
■ それは上の人にですか?それとも下の人っすか?
A 下には言わないよ!要はシーンを引っ張って行かないといけない人達には言う!言うと嫌われるんだよ。
■ GAGLEのMu-Rさんも同じコト言ってたっす!「ヤメちゃうんだよ!」って(笑)
A ホントにヤメちゃうんだよ!
■ マジっすか!っていう話ですよね(笑)
A でもホントそうなるんだよ(笑)
一同爆笑
A いなくなっちゃうんだから!次の月とかHIP HOPに変わってたりとか!
■ 何でもいいんすかね?
A selectorとかDJがカッコいいからやってるヤツが多いのかな?って気がするよね。でも、そうじゃないじゃん!好きになったモノを1人でも多く伝えたいからやらないといけないじゃん?やっぱり手段は音を使って伝えないといけないからね。selectorだったら。やってるコトを評価してもらうしかないから。こういうトコを言うと若い人は引くんだよ(笑)
一同爆笑
■ そういう年代なんすかね?
A PILEの年代までがストリートカルチャーだと思うんだよね。ギリギリで!それより下だとストリートカルチャーだとしても本物にはなれないよね。なんか器用なんだよね!考え方が!分かる?
■ 2000年からの人とは感覚が違うんですかね?
A 絶対違うと思う。
■ 生まれた時からスーファミがある世代ですね。
A 俺なんてインベーダーだもんね(笑)スーファミなんてスゲーって感じだったもんね。家で出来んのかよ!みたいな(笑)
一同爆笑
A 若い人達には言うべきか言わないべきか分からないね。逆に聞きたい(笑)。
一同爆笑
A でもMu-R君の言う事は分かるね!若い人がインビ持って来られたらやっぱり行くじゃん。それで職業病じゃないけど曲を聴くんだよね。真剣に!
■ 逆に今若い人でコイツは頑張ってるって人はいませんか?
A いる!1人はサウンドシステムを作ろうとしてるヤツで。そいつはちゃんと目的を持って仕事をしてselectorでは食べていけないからコンピューター技士かなんかやってるのかな?あとは、そいつと一緒にやってるやつで、とりあえず1年間ジャマイカで武者修行しに行く奴がいる。その2人はブレないでやれると思う。20代前半のやつで、あとは10代の……
■ 前言っていた人っすか?
A そう!あと5年もやればモノになるかな!
■ まったくゼロじゃないってことっすね!
A ゼロってワケじゃないけど、どちらかというとマイナスの要因のほうが多いかな。
■ ただやってるやつが多いって事っすね。
A そうだね!仙台のシーンは!でも明るい材料も2、3ある。だって5、6年前は仙台のシーンにREGGAEってなかったでしょ。HIP HOPばっかりだったもんね。
■ そうっすね!東京はREGGAE箱ってありますもんね。昔から。
A そうだね。大阪もいっぱいあるしね。北海道にもあるしね!多分全国にどこいってもREGGAEのクルーっているし、サウンドシステムはあると思うんだよね。俺らの時って6つくらいしかなかった気がするね、全国に。知らないだけだったかもしれないけど。
■ REGGAEの仙台のシーンを底上げをしてるワケじゃないですか。その目線からみてこれが足りないっていうのはありますか?
A してるワケじゃないんだよね。しないといけないっていうのが近いかな?
■ 上がもっと引っ張っていかないといけない!みたいな。
A う〜ん……フロントマンでやってるサウンドの人達がもうちょっと頑張らないといけないっと思うよね。REGGAEなんて一生聴いてられる音楽だから、HIP HOPもそうだし他のジャンルもそうかもしれないけど、途中でヤメる必要なんて全然ないから、引っ張っていく人達によって層も広くなるし、ハードコアな人も出てくるしパーティーが得意な人も出てくればお客さんも選べれるし、そうなって欲しいなって思う。そうなる為にはどうすればいいのか自分でも分かってるようで分からない部分もあるんだけど……とりあえずジャマイカにいって本場のルールっていうか、パトワって言葉があるでしょ?REGGAEって島のコトを歌って世界に広まった音楽だから1回行ってルールを分かってきたほうがいい!って思うね。絶対そう思う!サンフランシスコ行ってちょっと変わったトコあるでしょ?
■ 感覚的に潜在的に変わったトコはあるっすね!
A 多分あっちの人ってピストとかスケートとか構えてやるんじゃなくて日常の中のルーティーンとして遊び場でスキルを磨いたりとかそういう環境じゃない?REGGAEもそれと一緒で自然と身に付けなきゃいけない気がするんだよね。っで、週末は、やっぱりパーティー好きだから人は集まるし。そういうのを体で感じるっていうのではないけど、インスピレーションされてそれをうまく表現できれば凄くよくなると思うんだよね。それぐらい納得できるまでジャマイカにいたほうがいいと思う。
■ そういう環境で頑張ってると共感できるんですよね。
A そうだと思う!別に標準語でやる必要もないし……仙台弁でやってもいいじゃん。標準語で噛むよりも仙台弁で『バー』っと韻踏みながら表現すれば面白いと思うし。そういう地元をちゃんと胸張ってレペゼンできるアーティストがいっぱい出てきたほうが俺はいいと思うんだよね。
■ そうっすね!今は現場に行かなくても聴けちゃいますもんね。
A 昔はselectorとかDJとかって俺は人よりレコード持ってるやつがやるもんだと思ってたし、人より曲知ってるヤツがやるもんだったけどね。それだけで上手い下手じゃなくリスペクトしたけどね。音楽好きだ!ってことに。
■ そうですね!
A 昔はテレビでもラジオでも流れなかったもんね。だから聴きたいからCLUBに足運ぶってあったよね!
■ 今はネットで聴けちゃいますもんね。
A そうだよね!
■ もう音楽を掘るっていうのが無くなったのかもしれないですね。
A 昔はHMVとかタワーレコード行ってもなかったのにね。今じゃ普通だもんね。
■ CDってコレクター心が踊らないっていうか……。
A 分かる!サイズも悪いっていうのもあるよね。
一同爆笑
A 12″EPってジャケ買いってしたことあるでしょ!アートとしてもいいよね!でもCDってあんまり欲しいってサイズでも無いんだよね。だからあんまり買わないんだよね。
■ そういうコレクター心が失われてるじゃないですか。レコード屋もないし、CDでDJできる時代だし……
A そういうのもあるよね!やっぱりデカい音で聴けばやっぱりアナログのほうが音が良いからね。ハイテクばっかりにいって怠慢したトコロもあると思うんだよね。仙台に住んでて仙台で回すならレコード運べ!って言いたくなるよね。地方営業行ったら便利だからCDでもしょうがないけど。納得しないと置いてかれるっていうのもあるかもしれないけどね。でもホント昔からやってるから俺はPlay中にレコード探すのも一部なんだよね。CDだと1枚でいっぱい入るでしょ。あれだと時間が余って……そういう作業も好きなのかもしれないよね(笑)「あのレコードどこいった?」みたいな(笑)
一同爆笑
A 例えばピストもそれと一緒でコンプリートされてるものよりパーツをDIGってる時が凄い楽しかったんだよね。感覚似てるっていうか……
■ 見つけたらすぐ買わないと無くなっちゃいますもんね。
A そうなんだよね。そういう気持ちが大切だったりするよね!レコードもDIGってやっと見つけてPlayした時にまた新しい楽しみができてみたいな!そういうのが今は足りないよね!
■ 今は見つけるのが簡単ですもんね!
A DIGって見つけたら自慢したいしね(笑)。
一同爆笑
A 服屋も昔はそうだったんだよね!その服ドコで買ったの?みたいな。店員も結構曲者で入りづらい雰囲気が出ててさ!
■ 俺らの時代も結構そんな感じでしたよ(笑)。
A 今は店員も優しいもんね。昔は店員と仲良くなったら1つハードルをクリアした!みたいなのあったでしょ?
■ ありましたね!
A そういうのも大切だよね!そういうのも俺は結構好きだったね!
■ やっぱり現場の雰囲気って大切ですよね。これからはより現場でしか出来ないコトをやんないといけないかもしれないですよね。
A そうだね。凄くそう思う!この前Rankinさんとデジタルウエーブのバースデーをやったときも東京から10人近く来てて、あと新潟からも来てて、それで「凄く面白い!」っていうんだよね!仙台のシーンが!「これでみんな大合唱するんですか!?」みたいな!俺も『Black Cinderella』っていつもかけてる曲をかけたんだけど、50人くらい合唱してたのよ。小野君とかさ(笑)あとThousand Baseとかなんだけど、みんなビックリしてるのさ!「この曲で盛り上がるなんて仙台って凄いっすね!」って。それで仙台は面白いって帰っていくじゃん!要は口コミだから現場に来てくれた人が現代のツールを使って広げてくれても面白いよね。俺はCDになってないものをPlayするからその現場の空気を武器にしないといけないよね!カリブの雰囲気をそのまま伝えなきゃみたいな志でやってる。でも誰かにゲストに呼ばれてブッキングされたりした時は、お客さんに譲らずにまずは同業者、そしていつも来てくれる小野君とかいつも足を運んでくれる人がウケれば自然と周りもなんとなく盛り上がるみたいな(笑)、小野君がカッコ良いって言えば5人はそう思ってくれるから!じゃないとホントに好きな人に申し訳ないからね!お客さんの好きな曲ばっかりかけてるのはあまりつまらないし。
■ ドコでも出来ますもんね。
A 俺レコードは選んで持っていかないからね。引き出しだけいっぱい持っていって、お酒とかその場のノリでかけるから。だから当然毎回違う選曲になるのは当たり前のコトであって「2週連続で一緒だよ」なんてほどガッカリすることないからね。でもほとんどの人は2週連続同じ選曲する人達ばっかりだからこそちゃんとしないとって思う!「この人ちゃんとできるんだ!」ってトコロも見せないとね。
■ 今東京でもやってるんですか?
A この前行ってきたよ!あと7月にも1回あるかな。どうなんだろう?仙台だけでやったほうがいいのかな?県外はハイポンがやればいいし。
■ 東京の現場の空気を持ってくるっていう感じですか?
A ホントは仙台だけで回して他の地方の人達が仙台に遊びにきてくれるのが一番理想なのかもしれないよね。本当は若い人とガンガンやりたいんだけどね!
■ リリックを提供してたりしますよね?今までどんなアーティストに?
A え〜と……前はHey-Zってシンガーに書いて、まぁ共同作業みたいな感じなんだけどMOOMINがカバーしてくれた『THANK YOU JAH』とか、NANJAMANともDub用は作った。あとは若手かな。今は仙台の若手に2曲提供してそれは結構面白くて今はそれに力入れてるかな!
■ 昔からやってるんですか?
A 昔から!自分達でレーベルやってるときにサビの部分だけ作って持ち込んでくる人が多くて、手直しじゃないけど付け加えてあげないといけなくて。ジャマイカの友達ともパトワの曲も1曲書いたコトもあるし……必要にせまられたらね。自分のほうがいいの出来るかもしんない!って錯覚して。
■ ジャマイカ時代に?
A そう!っで最近またそういうのが舞い降りてくるようになって、30分くらいで「サァー」って書いたりしてホント先週の金曜日に1曲出来たり。それで今3曲目を作ってる。5曲作ればミニ・アルバム作れるから(笑)。そんなに甘くないけど。
一同爆笑
A 今はポジティブなモノを作るように心掛けてる。前はネガティブな言葉が出てくる時期があったんだけど、最近まったくないから前向きにいけるようなワードを集めれるようになったから。まぁ歳取って柔軟になったっていうのもあるけどね。だから最近は若手にリリックを書くのが楽しみの1つかな!現場でそれがウケたら嬉しいし(笑)。
一同爆笑
■ 結構音楽もそうですけどスケートとかピストとか柔軟ですよね!考え方が!
A ピストは俊君が熱心に「やりましょうよ!」ってきたでしょ!それで始めたんだよね。隣の駐車場が立て替えでビルになるっていうので通勤の手段を失ってたから「分かった!」って感じで(笑)。Chiekoさんにも「今からはエコの時代なんだからチャリで通勤しなさい!」みたいな感じで言われたりして。それで走ってみたらバッチリハマって!スケートは昔ナルミ君とZEROSENのタロー君に教えてもらったコトがあったから、それは青春復活みたいな感じで始めたんだよね!下手クソだけどね(笑)でも楽しいよね!
■ そうっすね!
A やれば楽しいから考えないようにしてるよね!若い人はやったほうがいいよね!凄いエネルギーをもらえるから!俊君みたいに熱く語れないじゃん?
■ いや、結構語ってるっすよ(笑)。
A そう?でもやっぱりそういうのは疑わずにやってみたほうがいいよね!チャリなんかは凄く色々な人とリンクできたし!今まで接点のあまりない人とチャリの話するのが楽しかったり一緒に走ったりとかね。
■ そういうのは音楽と一緒ですよね。
A そう思う。なんとなく走ってたりすると音楽が流れたりするじゃん!そういうのがよかったりする。
■ では最後の質問なんですが、今もしくはこれから企んでる面白いコトとかありますか?
A あります!今動きだしてる秋くらいにスタートのプロジェクトがあります!まだ言えないけど(笑)。
一同爆笑
■ 今日はありがとうございました!
Tags: HIIDEAKI AIHARA