MARU / ISSUE03

Date : 2007.03
Common Magazine issue03

HUMANREPORT × MARU from Consolidated

MARU(Bridge) WEB

ISSUE03 DETAILS


■ よろしくお願いします!

MARU(以下M) よろしくお願いします!

■ スケートを始めたキッカケを教えて下さい。

M 小学生から中学生になる時って誰でもそうだと思うんだけど、みんな個性出したくなる年頃でその時にたまたま目に入ってきたのがスケートボードだったっていうだけで、そんなかっこいい理由はないですね。周りで友達がやってた奴がいたっていうのもあるし、そのころちょうど色気づいてきてFineっていう雑誌を見るようになって、スケボーの特集やってるのを見てちょっとやってみっかな~みたいな(笑)

■ でもやりはじめたキッカケなんてみんなそんな感じですよね。

M うん、流行ってきたからみんなやってたしね。

■ 仙台とアメリカのスケートに対する意識や温度差をどう感じますか?

M 仙台っていうか日本とアメリカは根本的に全部が違うね。向こうではスケートボードっていうのが生活に自然に溶け込んでいるからさ。
 例えば日本では街でスケボー楽しくやってたら、おじさんとかおばさんがみんな何だ何だ!って見てきたり文句言ってくるじゃん、迷惑かけたなら考えるけど、そうじゃないし。いいじゃんほっといてくれれば。そう言う目で見られるのがすごい嫌で向こうだとそうゆうのははまずないんだよね。年とか関係なく全ての人達にスケートボードっていうものが浸透しているからなんだよね。
 例えば日本でいうと誰だって小さい時、親父とか友達とかでキャッチボールって一度はみんな必ずやるよね、アメリカだとその感覚がスケートボードなんだよ。ミュージシャンだって医者だってスポーツ選手だって子供の頃一回は板に乗った事あるみたいな感じだから、街見てもチャリ乗ってる人がいて、歩いてる人がいて、バイクに乗ってる人や、車に乗ってる人がいて、スケボー乗ってる奴がいてっていうのが普通だからスケーターは生活しやすいんだよねアメリカは。

■ スケボーのマーケットとかでも温度差は感じますか?

M 全部が全部じゃないと思うけど、日本のマーケットはホントクソ。スケーターじゃない奴がスケボーの商売をしてるってのが多いから。裏ではどっかの企業が出資してやってたり。今、ドメスティックブランドが増えてきたけど、基本的にはスケートボードは輸入ものだから、その輸入してる元会社がスケボー屋じゃなくて例えば、スポーツアイテムとか一斉に取揃えるような輸入代理店で、スケボーも流行ってるからとか売れるからとかでやってるのがほとんど。
 アメリカの場合そういう人達も少なからずいるけど、大体はスケーターがスケボーの商売をして、スケボーのマーケットを作ってるっていう国なんだよね。商売してる側もスケボーやってる側も同じ気持ちで盛り上がれるから、やっぱりそこが全然違うかなって思うね

■ そういうところからさっき話してたように、スケボーが生活の一部に自然に入ってくる環境を作ってるのかもしれませんね。

M ん~、なのかもね。日本では儲かる一つのツール、ただの商売として考えてる。でも向こうの彼等は、スケートボードがライフスタイルであってスケートボードビジネスもライフスタイル。自分の好きな事をする為に、好きな事で商売をする。そうやって回してる人がかなりいる。今俺が所属してるConsolidated(コンソリデイテッド)っていうのは特にそういう会社なんだよね。

■ あえて仙台から発信するっていうこだわりはありますか?

M やっぱり仙台イケてるって思うから!!地元は仙台じゃなくて隣町の富谷で仙台に生まれたから仙台にこだわってるとかじゃないけど、仙台に住んでみてジャンル問わずかっこいいって思う仲間もいっぱいいるしね。俺の場合スケボーは一人でやるもんだからチームプレイでも何でもないし、だからココでやりたいって思った所にいくだけだし、自分が今一番スケボーがやりやすいこの環境に身を置いていたいんだよね。

■ 東京に行くって考えた事はない?

M 東京はあんまり意識したことはないね。

■ 逆にアメリカとかの方が行きたいとか?

M うん、やっぱ自分が小さい時アメリカのスケートビデオを見て影響を受けたから、もうそのころから標準はアメリカのプロスケーターってなってたから、東京っていうのを意識したことはないね。

■ スタイルはアメリカの場合、簡単にいうと西海岸と東海岸2つに分かれててMARU君は西寄りのハードコアスケーターっていうイメージがあるんですけど、それはそういうビデオを見て始めたからとか・・・

M いやっ、ぶっちゃけその頃ばB-BOYちっくな格好してたから(笑) 当時流行り、廃りで流れてやってただけだけど、高校出てすぐにカリフォルニアに長期で行って、その時に行ったのがやっぱりサンフランシスコで、そこで「あ~、これだわ~!」ってなってそこからはもうこの感じでやってるね。

■ …..B-BOY?

M そう…..ちょっとB-BOY。NAUTICAのセーターとか…..。

■ ガーディアンってわかる?よく俺等も高校の時行ってたんだけど、NAUTICA置いてたお店で、あの~青葉通り沿いで、2階建てマックの隣にあったんだけど、あっ!今でいう、GAPの向かいの!

M …..あーっ!ウンウン!わかるわかる!も、行った行った!(笑)Timberlandは、ams西武とかね。

■ ams西武懐かしいね。

M あとtaka-Q。

■ 一同(爆笑)

M B-BOYスケーターだったね、あの頃は。

 

 

■ 今まで海外に何回位行ったことあります?

M ん~、何回位だろうな~。ひとまず高校出てから3ヶ月行って、帰って来て3ヶ月働いてお金貯めて、また3ヶ月行ってっていうのを繰返してたから、たぶん10回以上は行ってるんじゃないかな~。

■ 相当行ってたんだね!

M うん。スポンサー探しに行ったり、プロモーションビデオとか作って持って行ったり、そうゆうのを18歳ぐらいの時から4年間位はやってたんじゃないかな~。

■ サンフランシスコ、LAとかばっかり?ニューヨークとかは行かないの?

M ニューヨークはない。LAは1回だけ行ったことある位で、ホントに一番かっこいいスケートボードを発信してるのがサンフランシスコだと思うから、THRASHERとかSLAPとか、かっこいいメディアも全部サンフランシスコにあるし、カンパニーもDeluxe(デラックス)とか、もう俺がかっこいいと思うスケートが全部ノース・カリフォリニアに集中してるから。だからもうずーっとアメリカはカリフォリニアしか行ったことない。

■ 今後行ってみたい所とかはある?

M 東海岸は一回行ってみたいかな。リッキー・オヨラって俺が高校の時にスーパーカリスマだったフィアデルフィアのスケーターがいるんだけど、そいつが始めたTrafficっていうスケボーチームっていうかカンパニーがあって、そこにカメラマンやりながらプロライダーやってるリッチ・アドラーって奴が、去年の暮れに東京に撮影に来てたんだけど、そん時ちょうど友達のつてで一緒に滑んない?って言われて行った時に初めて東海岸のやつと友達になって、もう全然違くて西海岸のやつと。同じアメリカでも西と東でこんなに違うんだ!って思うくらい。
 西海岸って「たり~」とか「イェ~」みたいなテキトーで緩いノリなんだけど、東海岸のそいつはほんと細かくて、スポットシークしてる時も「ここでこうやって、こうやって、その後にこうやって」ってスゲー頭の中で考えたりして。そういうところが結構日本人的で凄い東に興味持って、行ってみたいな~て思ったね。ん~あと行ったことない所ではヨーロッパも行ってみたいかな~。

■ 現在の仙台のスケートシーンをどうみますか?

M それは日本一イケてると思う。層は薄いけど、ちゃんと後輩達にもかっこいいスケートがしっかり受け継がれてるし。何となくやってる奴が100人いるとしたら芯のある奴が1人いたほうがいいから。勿論地元びいきとか無しで、今まで日本中ツアーとか回ってきて考えてみても、仙台はイケてんじゃないかな。

■ 技術も勿論のこと

M うんそう。あと、個性が強いからみんな。

■ 仙台で活動してて不便だな~とか思った事とかはない?

M いや不便は不便だね、メディア・カメラマンが居ないし。何かを出していくっていう時にライブとかでは限界があるから、写真であったり映像であったりっていう手段をとるしかない時に、撮り手がまず少ない仙台には。いいスケータがいて、いいスポットがあって、いい瞬間があっても、それをおさえられる人がまだ少ないから、もうちょっとカメラマンとかが増えてくれるといいかな。

■ スケートやってるカメラマンがもっと欲しいんだよね、きっと

M 欲しい。そうなんだよね、どうしてもやってない人には解らない瞬間とか、そのタイミングとか。それはうまい下手とかじゃなく感覚の問題だからね。そういう人が少しでも出てくれば、若くてもすげー腕をもってる人達がドンドン出ていけるんじゃないかなって。出ていけるようになったらどの土地からも余裕で勝てる。日本中全部倒せる!どこよりも仙台スゲーってみんな解る。

■ 火は着いてんだけど燃えてこないっていう感じですね。これ読んでカメラマン目指す人増えるといいね(笑)何でもそうだけど、そういう人達が伝えたくてもうまく伝えられる人がいないと回っていかないんだよね。

M そう、でも自分を表現して伝えていくっていうのも実力のうちだから。そうなってくるとプロとしてやっていきたいなら、うまいだけじゃどうしようも無くて自分で動くしかないんだよね今は。東京に行けばうまいカメラマンや伝えてくれる人もいっぱいいるからね。そういうのは自分達、自分の街で回していけたらな~って。俺の場合、取材あるっていうと毎回東京行かなきゃいけないし。テメー等が来いって感じなんだけど。でも中には生意気でインチキな奴等もいるんだよ、O××××とか、S××××××とか。あーいう奴等は死ねって感じ。

■ ファッション誌だからね、あれは

M やたら注文ばっかして来る奴もいるしさ。

■ こういう画が欲しいとか?

M てっめ~!やってもみねー奴が「ん~もうちょっと攻められないかな~」みたいなコトとか平気でいっぱい言ってくるからさ!

■ (笑!)やばいねそれは!

M 特にT×××× Fuck’n W××××!本ッ当に!何なんだろあれは!!日本のガンだ。

■ (笑!)完全に裏話しですね

M いやっ、でも嘘はつけないからスケボーに関しては。お金にしようと思ったらいくらでもインチキやってお金になるし、ファッションモデルやったりとかでさ。でも俺はスケーターである限り、スケートボードでやっていきたいから。お金は自分で何とかやっていかないといけなくなってるけどね

■ 今仕事ってやってるの?

M 今は、お金が無くなってきたら派遣とかで働いて~とか。まだスケートボードだけで回してはいけないよね。…..あんまりこういうお金の話しすると子供達の夢が無くなっちゃうね。

■ そうだよね…..

M 10年後はもう全然変わってるかもしんないから、俺等が諦めずにやってれば。今の現状を知ったらホントに子供達の夢壊しちゃうからね。でもやり続けないとそこで途絶えて、また一からになっちゃうからさ。

■ やり続けないと、同じ気持ちになって頑張る奴もでてこないし。

M うん、諦めちゃったら「あ~その程度だったんだ」って文化がそこで終わっちゃうから。

■ メディア以外で東京にあって仙台に足りないものってありますか?

M ん~、そうだね….。みんなちょっと諦めんのが早いかなって、大人になると。「昔はこうだったんだ」とか昔の話が多いかな~。群れる事で安心しちゃう傾向はあるから、もうちょっと個々でがんばって動いてほしいなって。それでまとまった時に初めていいものが生まれるんであって、やる前からみんなで固まって「どうせ仙台は田舎だし」って諦めちゃうっていうか。「どうせ」って思わないでほしい。
 今まで東京は日本の中心だっていう事実は変わんないわけだし、仙台にいながらやっていくには東京よりやりづらいっていうのは当然の事で、同じ事をやるんだったら倍かそれ以上労力を使わないといけないんだよね。そこで少しすねちゃったり諦めちゃったり「仙台だから」で諦めないで、もう一踏ん張りして欲しいなっていう思いはありますね。

■ 例えばスケートのショーをやりたい!って思っても、東京だったらスポンサーと話をして決まれば段取りが組まれていける状況なんだけど、仙台の場合そういうのに携わる人が少ないから「取り合えずどうやったらいいの?」「誰に聞いたらいいんだろう?」から始まったりするよね?

M そうそう、そこで一歩踏み出さないとやっぱり何も生まれないからね。

■ そこら辺を自分達で動いていかないとっていう事なんだよね。

M あと逆にポジティブに考えれば、まだ誰もやった事ないんだからいくらでも自分達のやり方でやれるし、東京程しがらみもないし。だからそれをプラスに考えてやっていけばいいんじゃないかなって。「どうやればいいんだろう」じゃなくてどうにでもできるから。誰もやってないなら俺等がルール決めていいんだから、逆に仙台の方がチャンスあるんじゃないのかなって思うね。やる事は多いだろうけど。

■ それで作り上げれたら本当いいものが出来そうな気がしますね。

M うん、自分達だけで作ったいいものが。それがどこの真似でもない「仙台」っていう形になると思うから。

 

 

■ Consolidated(コンソリデイテッド)とのスポンサード契約の時のことを教えてください。

M 向こう(カリフォルニア)に行った時にConsolidatedの事を知ったんだけど、カンパニーのコンセプトとかスタイルとかが凄く俺のスケートに対する感覚にマッチしたから、欲しい!!ってそれからずっと思ってて。でもその時伝手とか何もなくて、「どうすっかな~」って思って日本に帰って来た時に、日本のコンソリのアドバンス(ADVANCE)っていう代理店でセールスやってるケンジっていう奴と友達になったの。
 その時どの日本の代理店ブランドも全部結構ですって断ってたんだけど、そいつにライダーになんない?って言われた時に、向こう、(カリフォルニアの本社)に直接アプローチかけて繋いでくれるんだったら、サポートしてもらいたいみたいな話をして代理店契約をしたんだけど、距離があるせいか中振らりになってた時期があったんだよね。
 俺ん中でやっぱり納得いかなかったし、今日本でプロとか言ってる奴等やデッキ貰ったりしてる奴等は所詮代理店ライダーだから。そのカンパニーの意志がそのままそいつに反映されてないし。インチキじゃんその時点で!

■ えっ、それはアドバンスとのサポート契約して、そこのConsolidatedのライダーっていう事なんだよね?

M そう、けどやっぱり雑誌とかにはスポンサーはコンソリデイテッドとか書かれてて、「お~っ!MARU君コンソリのライダーなんだ!」って言われても、向こうのConsolidatedに行けば「えっ?MARU?知らなーい」。これが現状の日本のスポンサー制システムで、それはもうダサ過ぎるから。
 要はアメリカに利用されてるんだよね代理店って。いくら日本でコンソリの看板背負ってやってたもしても、向こうで何にも認識されてないし。そんなの本当のライダー契約でも何でもないから、あーこれはもうダメだと思ってプロモーションビデオ作ってConsolidatedに行ったの、「もう行くしかない!」って思って。英語も解んないから全部英文に翻訳してもらって、映像も編集してスポンサーミー!って最後に入れて作って持って行ったんだよね。そんで直談判したんだけどその時は何も返事が貰えなくて、要はライダーにしてもらえなかったんだ。それがね22歳くらいの時で、お母さんやお父さんにも「そろそろあんたいい加減にしなさいよ」的な時期で、高校出てからずーっとそうゆう感じでやってたからこれが最後のつもりで行ったんだよね。もしこれがダメだったらプロ生活にも一線引いて、あとはもう就職でもして、スケートボードは趣味でやっていこうって思ってたんだよね。「はぁ…..俺のスケボーは偽モンだったんだ…..」って思ったねその頃。んで、日本に帰って来て2ヶ月くらいした頃かな、突然俺の家のパソコンに『welcome to Consolidated!!』っていうメールが来てて!『えぇーっ!!』ってなって。
M それで、毎日QJ(求人マガジン)読んだり就職活動してたんだけど、やってられるかと。そして今に至るみたいな。

■ 22歳くらいに正式なライダーになったと

M そう、日本の代理店ライダーではなくて直接のConsolidatedライダーに迎えてもらえたんだよね。

■ スケートのプロって結局どこが境目だと思う?

M 今は、お金を貰ってるにしろ物だけを支給してもらってるにしろ、何かを貰ってやってる以上プロの意識を持たなきゃダメだって思うけど、アメリカの場合プロとアマの境っていったらシグニチャーモデル(ライダー自身のモデル)を出せるか出せないかなんだ。

■ Consolidatedのホームページで見たんですけど、Pro・Am・Internationalって区分されてたんですけど

M そう、22歳の時はInternationalライダーにしてもらったんだけど、去年自分の板を出してっていうのもこれは、アメリカの本カタログには載ってない板で、スペシャルエディションみたいな感じで作ったんだけど、そこがキッカケでInternationalからAmに昇格させてもらって。Internationalの時は物だけの支給だったんだけどAmになるとお金も支給されるようになったんだ。その時に初めてもらった時のがこれなんだよね。そんでこれからアメリカに行ってもっと活躍できれば、そこからアメリカのレギュラーシリーズのデッキを自分のモデルで出してもらえるようになるから。そしたら本物のアメリカのプロスケーター。そこに挑戦していくって感じですね。

■ いや~かっこいいね!!

M でもかなり狭き門なんだよね!これはホントに!!

■ 何となくアスリートっていう感じもするね。

M でもアスリートっていう認識はないんだよね。表現者っていうかどっちかっていうとアートに近いと思ってるから。酒も飲むし煙草も吸うし…..何でも。そういうんじゃないと思うから。スケートはストリートのモノだから、ストリートで生きて行く人間がジムでこんなハァハァやっても違うでしょ。だからいくら体動かすっていってもスポーツではないと思うね、スケートは。

■ なるほど、もう生活の一部って言ったほうが良いいね。

M うん、ライフスタイル。スケボー中心に全部生活を組み立ててるから、宗教みたいな感じだね。

■ MARU君含めZEROSENは日本より海外のメディアに取上げられてると思うんですが、聞くのも何なんですが何故だと思います?

M そこを意識して毎日過ごしてるから。キレイ事じゃなくて俺はスケートボードに嘘はつけないから、自分で実際向うに足を運んでみて、スケートの最高の舞台や状況、メディアを含め全部を見てしまった以上そこを目指さないわけにはいかないから。本当はアメリカアメリカっていう言い方はあんまりしたくないんだけど、残念ながらやっぱりアメリカが一番かっこいいって思ったからさ、だからそこで動いていかないと嘘になるから、自分で意識してるねそれは。

■ 海外で認められるのに必要なモノってあります?

M ん~、でしゃばったモン勝ち、アメリカだったら。俺なんか嫁さんに自意識過剰だとか自己中心的だとか言われんだけど、何が悪いっていう感じなんだよね。そうやっていかないとアメリカには負けの美学っていうモノは無いから、自分を押さえる美しさみたいな。それが悪いとかは言わないけど、ましては日本の良い所でもあるしさ。でもそこでアメリカで出ていくには自分を表現する力が無いとダメだし、我が強くないと誰も相手にしてくれないからね。

■ …それがアメリカ。

M そう、でもそれをやった分だけ評価してくれるし。本当に解りやすい!やんなきゃやんないでポイされちゃうし。ぬるま湯がない、熱いか冷たいかしかないから、やりがいはあるよねアメリカは。日本では名前が、ボーンって売れちゃえばそのまま惰性で広がっていく事も可能だけど、向うではそれはないからね。常に自分を新しく表現していかないと納得いかない。日本だと、いくら出しゃばっても生意気だとかいって出る杭打たれるシーンが多いけど何のコネや伝手が無くても力ある人が認められて暖かく迎えてくれるのがアメリカのいい所だなって。

■ ZEROSENのホームってあえて言うのであれば、何処ですか?

M ホームはバン、車の中っすね!(笑)とにかくZEROSENっていうのはみんなで車一台でギュウギュウに乗って全国何処だろうと、ここがヤバいとか噂を聞いたらピンポイントでそこに行って奇襲、奇襲って感じなんで仙台の何処っていうのであれば仙台のバンの中。あとは飲み屋かな。

■ 今後MARU君が考えるおもしろい動きとかはありますか?

M そう、何か宗教っすねあれも。楽しく生きていく方法っていうか、生まれて来たんだからみんな楽しく生きてこうぜ!っていうのを色々な表現でみんなに教えてくれる集まだね。スケートであったり、アートであったり、音楽であったり、楽しく生きてく上で仙台の人達に力を与えてくれるんじゃないかな。

■ MARU君の今後目指す将来の形というのは?

M 20歳位から変わらずにある夢はアメリカのTHRASHER MAGAZINEの表紙!!それが出来たらもうそれ以上はないか

■ すごい!ちなみにあれってプロじゃなくてもなれるんですよね!

M そう、カッコ良ければ!!ホント凄い事だからね。世界で一番認められているスケートの雑誌だし、アメリカ人から日本人、ヨーロッパ、中国、エジプト、インド人とか世界中のスケーターならみんな見てる雑誌だから、その表紙っていったら、その月だけは世界一のスケーターになれるからさ。オリンピックも何もないからさ、一番解りやすい形だからね。

■ 仙台の若い世代にスケートの道筋というか環境を作っていってやりたい!とかそういう想いもありますか?

M 勿論ある!!そういう動きはそういう動きで、手伝える事があったらやっていくし、やってきてるつもり。今度新しく新田にもセメントパーク出来るんだけど、そういうのにも絡んでやってるし、設計は全部やったんだ。たぶん、日本有数のやばいパークになると思うんで。直接その世代に何かしてやんなくても、俺自身がかっこいいスケートボードをやってるっていう事が次の世代に繋がっていくんだと思う。俺だってかっこいい先輩に憧れてやってきたから、そこで先輩に裏切られた事もあるし、何だダセーじゃんってそれ程悲しい事はなかったから、自分の体が動く限りはやり続ける。

■ 最後に丸山晋太郎にとってスケートボードとは?

M 宗教、原理。スケート原理主義者なんで。スケートボードで人生を組み立ててるから、俺自身がスケートボードみたいな感じですね。


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