NO CUT EDITION

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□ selectorとしてのスタートは?

A 新宿の第三倉庫ってCLUBからミロスガレージにかわったトコロで、MASSIVEってクルーがいて、浪速男とかがいたクルーなんだけど。そこでジャマイカから帰ってきた時に「Playしてくれ」ってことになって。

□ いきなりっスか?

A いきなり。それでPlayしたらメチャメチャウケちゃって。それでオファーが入るようになってそれからずっとやってたんだよね。人は5〜60人しか入ってなかったんだけどノリが良すぎて、凄い良い手応えを感じてそこから始めたんだよね。90年代中盤くらいまでジャマイカに住んでて……

□ 何年くらいっスか?

A なんか行ったり来たりしてるうちに3年くらい経ってて、ずっとそういう状況で日本とジャマイカを行ったり来たりしてる時にTAXI HiFiのスペシャル・ダブ・プレートをジャマイカで撮ったりとか、あと今でいうと伝説のサウンドだけどフィラマンジャロっていうとこのサウンドのオーナーと1stのselectorのリッキーチューパーを連れてくる仕事とかをしながら日本に帰ってきたらRankinさんのシステムでselectorをするっていうのでやってたんだよね。っで、そこで2、3年して結構音楽の思考がちょっとこう……REGGAE好きだけど最先端のREGGAEみたいなのが嫌になってしばらく休んだよ。

□ その何年間はselectorで食べてたんですか?

A selectorしかしてなかったから!

□ 色んなCLUBで回してたんですか?

A 色んなCLUBで回してた。トリプルヘッダーまであったよ。一番忙しいときで一日に2、3カ所で回したりしてた!ファッションショーとかで回して、その後0時まで池袋で、その後西麻布で回すとか。週末は地方に行ったり。

□ そのときはどこかに所属してたんですか?

A TAXI HiFiのときが一番忙しかったかな?ジャマイカにいるときはサンダーゲートっていうレーベルを立ち上げて。

□ ジャマイカでも活動してたんですか?

A ジャマイカはビザ取るためにちょっとやっただけかな。でもレーベルだね!ジャマイカ行ってる時は。

□ ビザを取るためっていうのは?

A 長くいるためには普通の観光ビザじゃなくてワークファミットビザみたいなのが必要なんだよ。っで、ROCKERS ISLANDっていうREGGAE専門のレコード屋のタッカー社長に助けられながら長く入れるビザを取得してみたいな感じかな。

□ 整理すると、都内で活動しながらジャマイカに行ったりって感じですよね?

A そうだね。まぁ1年くらい帰って来なかったり、1ヵ月日本にいて半年ジャマイカ行ったりとか。

□ ジャマイカにいる間は仕事的にはどんなコトをしてたんですか?

A え〜とね、Riddim MagazineのOverHeatってあるでしょ。そこのライターもやらしてもらったりとか、アーティストのちょっとしたブッキングとか、Dub撮りの代行してた時もあるかな。後半はレーベルだね。でも正直あんま仕事しないで遊んでた(笑)

一同爆笑

A ほとんど遊んでた(笑)

□ やれる範囲で仕事してみたいな感じですか?良くいえばバカンスみたいな。

A いや〜精神修行の旅だね(笑)

一同爆笑
□ Dub撮りっていうのは日本のアーティストのですか?

A いや、ジャマイカのアーティスト。一番多かったのはデニス・ブラウンかな。その当時同じアパートに住んでたから、みんな知ってる人でいうと。

□ マニアックなトコロでいうと?

A そういうのもアリ?

□ はい!俺らが全然分からなくていいんで。

A じゃーレーベルの話で、Dub撮りは当時ジャマイカにいるアーティストほとんどしました。シャイライズまでした。SOULのグループなんだけど、ジャマイカに来たときにDub撮りした。そうやってDubスタジオを行き来してるうちにコネクションが出来てレーベルを始めて。レーベルも一番最初にスタラグってオケが凄く好きで、それをリメイクしてダニー・マーシャルっていう友達だったんだけど、そういうミュージシャンに頼んで打ち込みを全部やってもらってオケを作って、クーリーダンスで凄いヒットしたスキャッタっていうエンジニアにミックスをしてもらって、最初に撮ったのがNANJAMANの『SOUND TERRORIST』なんだよね。その一連でPAPA-B、Hey-Zって3曲撮ってかな。

□ 凄いっすね〜!

A 全然凄くないよ。周りは凄いけどタイミング!

□ あの時にジャマイカに行ったから!っていう感じで?

A 多分それで閃いたんだと思うし、自分でこういう活動しないといけないな!って。

□ それは何歳の時っすか?

A 20代後半だったよね。

□ 完全にパイオニアですね!

A 30歳になったらselectorやめようってなんとなく決めてたから。凄い人がいっぱいいて、それこそ若かったけどMighty Crownとか凄かったし。

□ 当時都内で一緒にやってた人ってどんな人達とやってたんですか?

A ミックス担当だとしたら…今のカミさんのChieko Beauty、NANJAMANもだし、Chappie Ranksもそうだし、都内だとRankinさんもそうでしょ、H-MANもだし、今第一線やってる人達とはセッションしてるかな。 PUSHIMとかNG-HEAD、TAKAFIN、JUMBO MAATCHとかあの辺のアーティストとはバスに乗ってツアーを周ったりした。四国とか九州とか。広島もいったかな?

□ その頃には日本にREGGAEっていうのは浸透してたんですか?

A してたね!もう各地に〜Soundみたいなのとかは1個くらいは出てきてはいた。仙台だったらThousand Baseとか長いでしょ。そういう各地の動きはあったね。

□ 海外のアーティストとかは絡みとかありますか?

A シャバ・ランクスが最初に来日したときに前座したことあるかな。スーパーキャットもある。HIP HOPだとサイプレス・ヒル、スヌープの初来日、ドクター・ドレー……。

□ ヤバいメンツですね!

A それは六本木のベルベットってとこでやったんだよね。

□ 他にもいるっすか?

A あと色々いたけど……Soundだとキラマンジャロとか、ストーン・ラブかな?

□ BIG過ぎますね!

A いや〜でも前座だから。

□ でも、なかなか経験できるコトじゃないですよね!

A だから凄く面白かったよね!ドレーとスヌープの時は凄く緊張したよね。

□ その2人は別々ですか?

A いや一緒!『Doggystyle』かな?その時だから90……94年かな?たしか?

□ その時のエピソードとかありますか?

A エピソードは…………あるよ(笑)

一同爆笑

A こっちはREGGAEでしょ!っで、お客さんはHIP HOPだよね!しかもほとんどベースの黒人で、その中で俺はREGGAEをかけたんだけど物凄いブーイング!そんなお客さんと軽くバトルみたいなコトして初日凄い落ち込んでて、「明日からHIP HOP回したらいいかな?」みたいな話をしたらドレーが「いや、REGGAEやれよ!」って「REGGAEで勝負しろ!」みたいなコト言って、それでヘネシー貰ったんだよね(笑)

一同爆笑

A それで勇気づけられたっていうか。今まで現場でレコード回してて一番嫌な現場だったね!それが!

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